2006冬 アメリカ西南部をまわる旅(1)

アメリカ西部は車を走らせるためにできている
※BGMはアメリカ国歌です



ロサンゼルス市内を縦横に走る高速道路

 アメリカの西海岸地域、都市でいうと、たとえばロサンゼルスなどは、車で生活することを前提としてつくられている、といってもいいぐらいだ。400万弱の人口を持つロサンゼルスなのだが、東京のような鉄道網がほとんどない。代わりに、高速道路は実に整備されている。片側5車線(両側ともで10車線・左上写真)の高速道が縦横に走りそれぞれの地域を結んでいる。
 ところで「高速道路」といっても、日本のそれとはややイメージが異なることを感じた。
 (1) 100キロというスピードで走れる、(2) 出入りはインターチェンジからだけ、(3) 人や自転車は通行しない、(4) 交差点がなく信号機がない−−−これを高速道路というのであれば、インターステイトハイウェイ(I-10とかI-15のように表示される)がそれにあたるが、100キロを超える速度を出せる道路というならばインターステイトハイウェイを補完するUSハイウェイもそうである。こちらは日本でいう国道にあたるのだが、制限速度は120キロが許されているので、日本流にいうならば高速道路になる。
 USハイウェイでも、上下線の間に分離帯があって対面通行ではない区間もけっこうあるのだが、車の通行量が少なくなっている区間では、片側1車線・両方向で2車線の対面通行区間も多い。たとえば、ケイエンタからモニュメントバレーの横を通りメキシカンハット方面にのびるUS-163号線(左下写真)は、ごらんのとおり対面通行になっている。中央分離帯もない。途中には交差点もあり、車道だけが独立になっているわけでもない。にほんでいうと「普通の道路」であって、60キロ走行の制限速度といったところだろうか。ところが、アメリカでは、65マイル(105キロ)で走ることができるのだ。日本でいうと十分に高速道路である。100キロを超えて走り対面ですれちがうときには、最初はやや怖いもののすぐに慣れてはくる。
 私がアメリカで走った道で、もっとも印象に残り爽快感があったのは、この道をビュートに向かって走ったときだった。


モニュメントバレーに続く道、ビュートに向かってまっすぐにのびる道を100キロで走った爽快感は一生の思い出

 日本から予約しておいたレンタカーは、ロサンゼルスの空港近くにあるハーツというアメリカ最大手のレンタカー会社のものであった。車のサイズは、1人でまわるのだからミッドサイズで十分だろうと、カローラクラスの車であった。
 当地のオフィスで、カローラにはナビゲーション付のものがないという。差額を出してフルサイズの車にするとナビがあるというのだ。初めてのところを走るためナビはどうしても必要だ。結局フルサイズの車にして、慣れているものということでトヨタ車をチョイスした。車種はカムリだ。あとで気づいたが、アメリカではこの車種は実によく見かける。たいへんに売れている車のようだった。
 乗ると、カムリにはクルーズコントロールがついていることがわかった。たとえば120キロにスピードをあげていって、その時点でコントロールのスイッチを入れると、あとはアクセルを踏んでいなくても、登り坂だろうが下り坂だろうが、コンピュータで制御して120キロをキープしてくれるというもの。運転が楽になる。また、長い下り坂などのとき、ブレーキを使わなくても同じ速度を保たせることにも使え、なかなかの利用価値があった。


US-163号線の脇に車を止めてビュートを背景にショット

 どこまでもまっすぐに延びる道。ロサンゼルスからシェラネバダ山脈を越えてラスベガスに向かうハイウェイ(左上写真)が、今回のアメリカ西南部をまわるコースの始まりだった。ハイウェイの両側には、なーーんにも利用されていない原野が果てしなく広がっている。日本であれば、いくらかの原野があっても、少しばかり走れば何らかの土地利用がみられる。でもここは、本当になーーんにもないのだ。確かに、日本の地価がアメリカに比べて高いことはよくわかる。アメリカには広大すぎる未利用の土地がどこまでも広がっていることを実感できた最初の日だった。この光景は、このあと、いやというほど目に入ってくる。
 ところで、世界恐慌のあと、F.ルーズベルト大統領によるニューディール政策がなされたことはご存じだろうか。ラスベガスからグランドキャニオンに向かうUS-93は、途中、フーバーダムによって生まれたミード湖岸を通る。このフーバーダムが、ニューディール政策のひとつとしてつくられたものだそうだ。1934年につくられたとある。ラスベガスへの電力と水の供給が目的だったということ。ネバダ砂漠は背丈の低い草木がまばらに生える不毛地帯。砂漠といってもサハラ砂漠のような砂地ではない。それだけでは土地の価値はなきに等しいのだが、ここに水を供給できるとなると、街が生まれたり豊かな穀倉地になったりするのだ。ラスベガスは、ネバダ砂漠のなかに忽然と姿を現す都会なのである(右上写真)。

 ラスベガスはミード湖が見下ろせる高台には、リゾート地というか老後をゆっくりと過ごす地というか、広々とした住宅街がつくられている。ラスベガスを朝早く発ったため朝食をとっていなかったため、住宅街にあるマクドナルドでブレックファーストをとることにした。その店にいた客の大半は、老後を過ごす高年の人たちだった。マクドナルドの店員さんもけっこうなお歳。
 朝食をとってさらに走り出すと、まもなく眼前が開け、ミード湖が見えてきた。確かに広大だ。(右写真)
 ただ、他の雄大で広大な光景には感動しまくりだった私でも、ここの光景にはそれほどの驚きはなかった。というのは、以前、日本のなかの最大規模のダムでもある黒部第4ダムを見て(クリックすると参照できます)、それによってつくられた湖を見ていた私は、この黒4ダムと比べて、それほどの巨大さがあったわけではなかったからだ。しかし、このダムが第2次大戦前につくられていて、ここで大量の電力が供給されていたことは、当時の日本の国力が、アメリカのはるかに後塵を拝していたかがわかる気がした。そのアメリカに戦争を起こした日本の指導者が、いかに無理解だったかを知るよすがにはなった。

 ミード湖を見下ろす高台。新しく造成した住宅地が広がっている。はじめはリゾート地かとも思ったのだが、どうも、老後をゆっくりと過ごす地ではないかと考えている。住宅地のなかにあったマクドナルドは、年配のお客さんがほとんどだったからだ。
 ここを訪れたのは12月26日。真冬なのだが、そう寒くはなかった。ただ、ラスベガス市内よりは標高が高いため温度は下がる。ラスベガス市内は、12月末であっても、昼間は半袖の人がいるぐらいだ(涼しすぎる気はするが)。砂漠地の気候だけあって日差しがあると温度はあがる。
 ここは、半袖だとちょっと寒い。でも、セーター1枚あるとだいじょうぶだ。きっと、夏場でも、ラスベガス市内で観測される40度などという高温にはならないのだろう。老後にはちょうどいい気候なのかもしれない。しかし、写真をごらんの通り、日本のリゾート地と比べて緑は少ない。アメリカの西部はこれが普通のようだ。

 モニュメントバレー。このような岩山を西部劇などで見たことはあるだろう。このような岩山をビュートと呼んでいる。
 アリゾナ州とユタ州に広がるアリゾナ砂漠のなかに、ネイティブアメリカンの自治地域であるナバホ村が広がる。村といっても、東北6県の面積に相当する広大な砂漠のなかに、本当にところどころにナバホ族の人家が点在するといったところだ。
 モニュメントバレーに入るには$5の入場料が必要だ。ガイドブックによると、4輪駆動のジープによるバレーツアーがいいと書いてあったが、自分の車でも入ってもかまわない。他の車もけっこう入っていたので私も入ることにした。

 舗装はされていないのだが、雨が降ってぬかるみにならないかぎりは、20キロ程度に速度を落としてゆっくりと走れば、普通の車でなんら問題はないと思う。日本でだって、舗装されていないところを走ることはあるのだから。

 もし車をレンタルしていなければ、短期間にこれほどまわってくることはできなかっただろう。ここで報告したのは、今回の旅行の一部でしかなく、しかも前半の日程部分だ。これ以外にも、グランドキャニオン、サワロ国立公園、サンジェゴなどをまわっている。アメリカはとにかく広大な国なのだ。
 アメリカは、日本とは逆で、左ハンドルで右側通行。今回、実際にドライブするまでは、けっこう不安もあった。しかしそれも杞憂。30分も乗れば、左ハンドル・右側通行には慣れる。ただし、ウィンカーとワイパーのスイッチが左右逆なので、これがまちがいやすい。ウィンカーと思ってハンドルの右側のスイッチを入れたらワイパーが動き出すという失敗が何度かあったものの、これは、直接には事故にはつながらないので、もう一度スイッチを正しく入れ直せばいい。日頃、日本で乗っている車は、トヨタ車だけどワンサイズ小さい車だ。レンタルしたカムリはなかなかよかった。
 とにかく、なんの事故も起こさず、そしてドライブをサポートしてくれた、ハーツレンタカーのナビシステムである「ネバーロスト」とクルーズコントロールに感謝。