2004 微笑みの国・タイを歩く(4)

今から250年ほど前、タイのアユタヤ王朝は、ビルマ軍によって滅ぼされた。タイの人たちは、「前の戦争」といったら、この250年ほど前のビルマとの戦争を指すらしい。第1次も第2次大戦も、タイが主体的にかかわった戦争ではなかった。タイにとってみれば、「前の戦争」は250年ほど前。ということは、その後、戦争らしき戦争をやっていないということになる。アジアのなかでは、第2次世界大戦以前からの独立国は、日本とタイ。日本が、この100年間の間に戦争に明け暮れていたときに、タイは平和を維持し続けたということになる。タイが「微笑みの国」であるというのもうなずける気がする。

遺跡のまちアユタヤを歩く

 栄華を誇ったアユタヤ王朝は、250年ほど前に、ビルマ軍によって攻め滅ぼされた。ビルマ軍は、アユタヤを徹底的に破壊しつくしたという。今は、昔の栄華をしのぶことができる破壊された建造物が遺跡となって観光客に開放されている。
 象に乗って遺跡を回るのも、アユタヤ観光のひとつのハイライト。象に乗ったのははじめてだったので、はじめは緊張。あまり乗り心地はよくなかったですねえ。
 昔の栄華のあとを歩くと、なんだか不思議な気分になってしまう。

 アユタヤ朝の歴代の王が離宮とした「バン・パイン宮殿」を訪れた。
 ちなみに、この宮殿も含めて、王室にかかわる場所には、ミニスカートやホットパンツ、ノースリーブの上着など、肌の露出が多い服装では入れない。このことは聞いていたので、ここはしっかりと長めのスカートをはいていった。
 象を形どった植え込みや、色鮮やかな建物を背景にした池など、熱帯に位置するタイの庭園といった風情だった。

 左の写真は、仏像の寝姿があるワット・ヤイ・チャイ・モンコンという寺院。けっこう大きな寺院だ。下の写真も、その寺院で撮したもの。
 同じ仏教とはいえ、日本の仏像とはかなりちがう。日本は大乗仏教であるのに対して、タイは上座部仏教(小乗仏教というふうに大乗側から命名されている)。黄色やオレンジ色の衣装をまとっているあたりは、日本の仏像よりは明るく感じる。
 同じ仏教文化を持つ日本とタイではあるが、共通するものがある反面、ちがいを感じる部分も多い。
 下の写真で、木の根っこに仏像が取り込まれているのは、長い年月を経て取り込まれてしまったということらしい。ちなみに、写真は、仏頭より高くして撮してはだめだとのこと。したがって、座るようにして撮らなければならない。仏像を見下ろすのは失礼だということなのだろう。

 アユタヤのシンボルである3基の塔が並ぶ遺跡(写真には残りの1つは写っていない.残りの1つはもっと手前の方にある)。夜になるとライトアップされ幻想的な雰囲気になるらしいが、私が行った時間帯は、ご覧の通り昼間だった。ちなみに、夜のアユタヤ見学のコースもある。
 1つの塔には、1人の王が眠る、王室の守護寺院だということだ。
 しばし、ぼーっとたたずみ、遠く、アユタヤの繁栄の時代に思いを馳せた。このあたりは、東南アジア随一の都として、日本などとも交易を行っていた。山田長政がタイに行き、そこで重用されたということは、歴史でも学んだ記憶がある。
 タイと日本とは、古くからの友人だったということのようだ。