No.111 性別に違和感をいだく多様な人たち
               


 横浜市の古くからの商店街、野毛地区(現在の住所は宮川町)にある「クラブダイスケ」というスナック。
 開店しておよそ1年目というから、この手のお店としては新しい。
 最近、横浜西口シネマが廃館になってから、横浜では、光音座という映画館がそれにかわる女装者たちの集まるスポットになり、その映画館から徒歩2分ということもあって、あらたな女装者や女装者と話をしたいという男性のスポットとなっているもようだ。
【クラブダイスケ】
 横浜市中区宮川町2−16 日向ビル2階
 電話 045−241−8837
道順 京急「日の出町」からJR桜木町方向に向かい、ドンキホーテの有る信号を右に入り百メートル位にある赤いレンガのビル
←左の写真をクリックするとこのスナックのホームページにリンクします.

 GID(性同一性障害)という言葉がマスコミでも使われはじめ一般の人にも知られるようになって8,9年がたつ。この間、闇ルートではなく公に、そして、大学病院で性転換手術(医学分野では性別適合手術と呼ばれる)ができるようになった。戸籍の性別もかなり厳しい条件付きながらも一応は変えられるようになった。ずいぶん昔からの「性転換者」として知られるカルーセル麻紀さんも戸籍の性別を男性から女性に変更した。
 こういった流れはもちろん望ましいことではある。しかし、実は、一般の人にあまり見えていない「性を変えて生きる」人たちの様相は、もっと複雑で奥深い。このエッセイで、一般の人には、ぜひ「複雑で奥深い」実態を知ってほしいと思う。
 性同一性障害という言葉のもとで、医療を受けるべき「病気」ではあっても、変態視する対象ではないというなんとはなくの世間の理解が出てきつつあるものの、「性を変えるコース」がひとつのパターンとして決められているかのような風潮が生まれてきているのではないだろうか。とくに、若い人たちに顕著にみられるようだ。

(参考) 自分の性別に違和感がある。(生物学的な性が男性であれば)女性でありたいと願うわけだが、そのとき、まずは、精神科医のところに行って「性同一性障害」という診断をもらう。そのあと、ホルモン療法などで胸をふくらませたり体つきを女性的に丸みを帯びさせるなどの段階にすすむ。闇という言い方は私はおかしいと思うのだが(医師が正式に処方したものを闇というのは奇妙な話)性同一性障害という精神科医の診断書がなくてホルモン療法をする人もけっこういる。診断書が出るためには何十回と精神科医に通う必要があり、時間をかけて通う割には、1回の診断時間は10分から15分程度。保健医療は効いても3割負担はあるわけで自己負担も馬鹿にならない。診断書を出したら性転換手術の実行も可能になるわけで、そうなると「元の体にはもどれない不可逆の施術」でもあるため慎重に判断したいという精神科医側の説明はわかるけれども、意地悪く考えれば、彼らの「金儲け」ではないのかと勘ぐる気持ちもなくはない。
 本人が「性を変えたい」と言っているとき、その本人の自己責任での人生という考え方を徹底させれば、別に何十回も診断に通う必要もないと思うのだが、医師側とすれば、パターナリズムの心で、まちがった診断があって当人の人生を誤らせたくないということだろうか。

 私のところにも、ときどきメールがくる。病院に通って「性同一性障害」の診断を受け、ホルモン療法、さらには性転換の手術を行い、戸籍の性別も変えて生きていきたいと。
 ご本人は、本当に真剣に考えている。現在は、日本でも、このコースが可能になったこともあって、自分の性別違和感を解消するための方法は、このコースであるべきなのだろうと思ってしまうのだろう。無理はない。
 しかし、ちょっと考えてほしい。私は「神が人間をつくりたもうた」などと考える宗教者ではないが、人も含めて、生き物の体というのは、長い進化の過程で、実に絶妙なバランスの上になりたっていると思っている。それは、あたかも、全能の神が「つくりたもうた」といえるほどの絶妙さだとも思える。こういった私たちの体に対して、逆の性のホルモンを大量に摂取したり性器を切除したりすることによって、将来、どういう体の変化や精神状態になっていくかは、今のところ未知数なのだ。絶妙なバランスに手を加えることになるからだ。
 とはいえ、どうしても、体を変えないと生きていくことができないと考える人もいるだろう。そういった人たちに性別適合手術が施術されるようになったことは、これはいいことだろうと思う。しかし、《なんとか》手術を受けることなく、たとえば、ときどき「女装」する時間を持つことで、自分の性別違和感と折りあいながら生きていくというコースで、自分の人生をなんとか送れる人たちもかなりいるはずだ。なのに、今の若い人たちは、そういったコースを選択することは「考えられないこと」と思っているふしもあるのだ。まっとうなコースは、精神科医による性同一性障害の診断・ホルモン療法・性別適合手術とすすんでいくコースしかないかのように考える。かりに、手術まですすまないとしても(この段階にすすむためには気が遠くなるほどの時間とエネルギー、そしてお金がかかることがある)、24時間(フルタイムで)別の性で生活していくことこそを「当たり前のコース」と考える人たちが、当事者のなかで増えてきているように思う。

映画館内には、ロビーにこんなスポットもあって、缶ビールや缶コーヒー(持ち込み可)、はたまた食事など、和気藹々と語らいながら楽しんでいる

「クラブダイスケ」では最新のカラオケも置いてあって、女装者たちも歌って楽しむ.ここで歌われている方は、裏声で、実に高い声を出されていて、本当に女性が歌っているように聞こえた.

 そりゃ、別の性で自分の生活も仕事もなんの問題もなくできる社会であれば、それにこしたことはない。また、そういう社会であってほしいと私は思っている。しかし、現実を冷静に考えたとき、戸籍の性別は男性の人が姿かたちは女性で教員採用試験に合格できるだろうかとか、銀行は採用してくれるだろうか、公務員としての採用は? 商社はどうだろう。
 いったん、男性として採用され、その後、女性として生きていくと宣言したとき、その人をクビにするとなれば、これは、法の下の平等の問題が横たわるだろうから、そう軽々にはクビにならないとしても、でも、会社のなかで左遷されたり「窓際族」にさせられ、仕事を通しての自分の自己実現という、その人の性に関わる問題以外の人生の重要事はかなわなくなってしまう。
 タイのように、研究者だろうが、教員だろうが、性転換しているとしても差別なく仕事ができる国ならば、「性転換して別の性でフルタイムで生きる」ことであれこれと悩む必要もないだろう。日本もそのようになってもらいたいとは思う。ひょっとしたら50年後はそうなっているかもしれない。だけど、今を生きている人たちは、自分にとってどういう生き方やコースがベストなのかを冷静に考える必要はあるはずだ。「ときどき女装して違和感をなだめようとする」という生き方も含めて、多様なあり方をそれぞれの人が考えていける機会があるべきだと私は思っているのだがどうだろうか。
 精神科医による性同一性障害の診断・ホルモン療法・性別適合手術とすすんでいくコースがまっとうで、どこかに集って「女装する」ことによる性別違和感の解消はなんとなく変態チックだというような、そういった区別観が生まれてきていることじたいは、実はゆゆしきことなのではないだろうか。
 女装するひとときをもつこともすばらいあり方で、性転換にすすむあり方と同等の、《そのひとなりの性別違和感への向き合い方》だと考える社会であってほしいと思う。
 実は、一昔前までは、精神科医による性同一性障害の診断・ホルモン療法・性別適合手術というコースが実際上選択できなかったこともあって、性別違和感を持つ男性は(逆の女性のケースについては当事者の女性の体験を世に知らしめてください)、大都会ではいくつかの「集える場所」に集まって、女装するというひとときと、そしてお互いで語りあうことで、自分と向きあってきていた。地方ではそういうこともできず、自分を偽り我慢し、悶々とした人生を送っていかざるをえなかったのが実情だろう。憲法で定められている「幸福追求の権利」は、こういった地方に住む人には、その光はあたらなかった。
 今でも、地方部では厳しい状況は大きくは変わりはないが、空間を超越できるインターネットの普及が、ある程度の変化をもたらしている。地方に住む人の「女装体験記」がインターネットでも散見できる。

 このエッセイで、写真付きで紹介しているのは、横浜の京浜急行・日ノ出町近くにある「光音座」という映画館と、その映画館から徒歩で2分ぐらいのところにある「クラブダイスケ」という、女装者や女装者と話したいという男性が集まるスナックである。
 女装者が集まる映画館はポルノ映画館と言われているところが多い(多いといっても数館だけど)。なかには、浅草の「新劇場」のような、フランキー堺とか植木等が出ているような「懐かしの映画」を上映している館もあるが、多くはポルノ館だ。
 なに、ちゅうちょする必要はない。別に、ポルノ映画を見に行くわけではないのだから。もちろん、ポルノ映画を真剣に見にきている男性もいるのだが(たまにカップルで)、常連さんであればあるほど、映画そのものを見るのが目的ではなく、ロビーにたむろして、お互いに語りあうといった雰囲気だ。女装できるということと、女装の人と話したいという男性が集まってくる。
 館内では、女装者と女装者を好きな男性とで、いくらかエッチなシーンが見られることもあるが、そういうことが嫌だったら断ればいい。別に無理強いされることはない。それでも苦痛ならばロビーにいれば、同じ女装仲間とも語りあえる。職業を離れて「女装することで心を安定させる」ことで共通する人たちが集まっているわけで、お互いの利害関係を離れて語りあえるのは実に心地いい。私は、同僚の先生方と飲みに行くのはどうも面白くなくて飲み会はできるだけパスしている。だけど、こういった場所で、「女性」として語りあえるのはとても気持ちが安らぐ。
 私の場合、日常は男性として生活しなければならない状況があるので、これは私としてはけっこう辛い。「女性」としての週末を持つことで、つぎの1週間をなんとかやっていこうという気力を蓄える。私としての性別違和感との向きあい方だ。
 光音座のような女装者が集う映画館には、私のように、週末に「女性」としてのひとときを持ち、それで自分の人生と折り合っていこうという人たちが集まってくる。このエッセイで紹介している写真に出てくる女装者で、女装をはじめて35年にもなるという人がいる。35年前というと、女装すること自体が「変態」とみられる時代だった。今でいう性同一性障害なんて言葉など耳にすることもなかった。テレビに、カルーセル麻紀や三輪明宏、ピーターがでていたとしても、それは、自分とは遠く離れた芸能界のことでしかなかった。しかも、普通の人たちは、こういった人たちを揶揄しながら見ていた。シャンソン歌手として名を馳せていた三輪明宏は多少ちがったが、「カルーセル麻紀みたい」「ピーターみたい」と言われるときは、だいたいは馬鹿にされることと同値だった時代だ。そういった時代から今まで、女装をやめることができずに続いている。この人なりの性別違和感と自分との向きあい方なんだなと私は思う。そして、私もそのひとりだ。
 ポルノ映画館なんて「いかがわしい場所」とみられがちだけど、逆にいうと、そういったところでしか集えないという「悲しい現状」があることもわかってほしい。現状で、たとえば、渋谷の公園通りに女装者が集まって語りあえる場所となるだろうか、ということを考えると、いくつかのポルノ映画館は、性別違和感を持った女装して心を安定させる男性の福音の場でもあるのだと理解してもらいたい。

写真に向かって、私の右側の女装者も、女装をはじめてからかなり長い年月が
たっているという.日頃は、男性として勤務しながら、週末にこのような映画館に
通う.

壁のポスターがポルノ映画館であることを物語る.しかし写真でもわかるように、大型の液晶テレビがおいてあり、競馬中継や野球中継が写されていて、けっしていかがわしい雰囲気ではない.

【光音座2】
住所 横浜市中区宮川町2-59   電話 045−231−0837
光音座1と光音座2が並んでいるが、1の方は、ゲイの人たちが集うところで、女装者が集うのはもっばら2の方

 さて、もう少し金銭的に余裕がある人であれば、女装者が集まるスナックに通うこともできる。ただし、こちらは夜だけの時間帯であって、昼間に集まれるということではない。
 なにも好きこのんで映画館なんかに行かずとも、昼間は、街を歩いてショッピングしたり旅したりすればいいじゃないか。なんて普通の人は考えるかもしれない。だけどちょっと考えてほしい。女装して街を歩くということがいかにハードルが高いかということ。もともと男性である私たちは、多くの人は体格が女性とはちがう。顔つきも男性的であるのが普通だろう。身長180センチ、靴のサイズ27、精悍な男性としての顔つき。こういった体格をカバーできるほどの服や化粧テクはそうそうにはない。身長160センチ、靴のサイズが24.5まででおさまる男性は、むしろ少数だろう。さらには顔つきも女性的だというならばもっと少なくなる。昼間に街を歩くことは、そうそうに簡単ではないのだ。
 いくつかのポルノ映画館であれば、どんな体つきや顔つきの男性でも、女装することを受け入れてくれる。そして、そこにいる(女装しない)男性諸氏も、私たちを受け入れてくれる。だったら、そこに行くしかないじゃないか・・・こんな事情をわかってほしい。
 私は、たまたま、図々しく面の皮が厚いのだろうけれど、昼間、街を歩き旅をしている。だから、こういう映画館に行くことはほとんどないのだけど、でも、ときどき「どんな感じなのかなあ」と顔を出してみることはある。
 いろいろな人と出会えて、私も、いろんなことを知ることができ、ときには、ここで知ることができた話が授業で役に立つから、世の中はおもしろいものだと思う。女装して来ている人のなかには、(私以外でも)学校の先生もいる。会社の部長さんだという人もいれば、大学病院の医者だっている。芸術家もいるし、それはそれは多士済々だ。