No.106 レズビアンとして誇りをもって生きる教え子
レズビアンとして誇りをもって生きる2人。教え子が自分の生き方を恥じることなく自信をもって生きていっている姿に、ちょっと感動してしまった。No.106のこのエッセイは、彼女たちのカミングアウトの場所でもある。写真は、目線を入れずに堂々と掲載していいと言われ、セクシュアルマイノリティであることを堂々と言える彼女たちに乾杯したい。
私のところに「会ってほしい」というというメールは、他の教え子も含めて、性同一性障害やセクシュアルマイノリティの問題について話を聞かせてほしいなどのことで、ときどきくるのだが、そのほとんどが女性からだ。男性からのリクエストは希有ですらある。もっぱらナンパ目的で接近してくる男性、性の問題で考えていきたいと接近してくる女性、2つのコントラストがおもしろい。
※BGMは、教え子のお父様がカラオケでオハコとしている「イムジン河」という曲.当時、政治的な思惑があってレコードが発売中止となった経緯がある曲.2006年春、イムジン河を見てきたが、歌から抱いていた「清くきれいな川」というイメージとちがって、春の雪解けということもあるのだろうけれどけっこう濁った川だった.北朝鮮と韓国を隔てる軍事停戦ラインまでは、ソウルから列車に乗り、臨津江(イムジンガン)駅、都羅山駅で終点となっているが、未来は、北朝鮮内の鉄道と接続して、釜山−ソウル−ピョンヤン−中国国内−ロシア国内とつづく新幹線を走らせる計画があるようだ.すでに、釜山−ソウル間は新幹線KTXが開業していて、フランスのTGVをベースにした高速鉄道が走っている。同じ朝鮮民族がにらみあっているのではなく、友好と隣人関係になってほしいと願う。そして、博多−(JR九州高速船ビートル号)−釜山−ソウル−平壌(ピョンヤン)−北京−モスクワという新幹線ができればきっとすばらしいと思う.しかし、2つの国に分かれた原因が、直接的には米ソの冷戦にあったとはいえ、朝鮮半島を日本の植民地にしたということがさらなるルーツになっていることも、私たち日本人は知っておくべきだ.(下線部をクリックすれば、ソウルから都羅山駅までの旅の記事にリンクします.
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昔の教え子が、成長した姿を見せてくれることは、教師だったら多くの人が経験する「教師としても喜び」だろう。ただ私の場合、教え子からのリクエストは、宮崎留美子としての私に会いたいという申し出がほとんどというところに、他の先生方とのちがいがあるのかもしれない。
7,8年前、現在の勤務校(2006年)の前任校なのだが、そこで教えていた女子生徒から、「留美子さん、時間があるときにお会いしたいのだけど」とメールがあった。彼女は写真部の部長だった。この姿を、当時、教え子には見せたことはなかったのでかなり躊躇したものの、「私」を見せた第1号の生徒さんでもあったのだった。待ちあわせ場所の新宿南口GAP前に行くと、恋人でおつきあいしている彼女と一緒に来ていた。教え子のHさんも問題意識を鋭く持っている優秀な人なのだが、恋人だという彼女も、これもすごく頭のいい方だと思った。頭がいいというのは名門大学に行っているからということではなく、口から出てくる話に問題意識をもった知性を感じたからだ。もちろん大学も名門のT大という女子大に通われている。
彼女は、アメリカのサンフランシスコの近くにある大学に留学していたという。私もアメリカのカリフォルニア州には行ったこともあって、また「アメリカ社会などの欧米文化とアジア社会の文化がセクシュアルマイノリティにどのようなちがいをもたらしているか」ということが、教員としての自分のテーマのひとつにしていることもあって、もっと聞かせてとせがむように彼女に質問していった。知的好奇心も問題意識もあまり持たず平凡に過ごして行っている学生が多いというのに、21歳の彼女は、私の質問に、自分の考えを織り交ぜながら実に的確に語ってくれたのだった。
彼女が持っている視点の根底にあるのは「相対化してものごとをみる」ということだ。この視点を持つのは21歳としてはなかなか珍しい。50歳を過ぎた大人だって、自分の価値観にあわない人たちに対して強制してでも従わせようとする政治家が目立つ昨今、これこれが絶対に正しいことだと信じ、ちがった価値観を自己の価値観を相対化してみることをしない態度は、その行き着く先は「戦争」でしかない。戦争には相対化がなく、敵は抹殺するというのがその帰結だから。
彼女の相対化の価値観は、大学で影響を受けた恩師によるところも大きいようだが、アメリカでの経験も反面教師として大きいようだ。
アメリカの学生でひとつの価値観だけで見てしまう人がいるだとか、新聞などの情報源から多様な考え方をくみとることができない人もいるだとか。そんなことが反面教師になったのかもしれない。
たぶん、キリスト教原理主義的な発想をする学生のことだと思うが、しかし、それが特別な学生というわけではなく、けっこう多くのアメリカ人が共有している感覚だとも思える。
*アメリカはなんでも1番だ
*世界のリーダーになれるのはアメリカしかない
*民主主義を広めることができるリーダーはアメリカだけ
*聖書に書かれていることは真実だ
*進化論なんてひとつの理論でしかない.真実とはちがう
*人類はアダムとイブから始まった
アメリカ人にはこんな傾向があると、ものの本を読み知ってはいたが今ひとつリアリティがなかった。アダムとイブから始まったということを本気で信じているということじたいが「馬鹿げている」としか思えなかったからだ。しかし、実際に経験した人の話を聞くと、アメリカ社会の病巣が見えてきた気がする。そして、それは、9.11後に加速されたようだ。
大量破壊兵器もなく、テロリストアルカイダとのつながりがないことが明らかになったにもかかわらず、イラク攻撃したことを恬として恥じず当然のことをしたと思いこむ感覚が、なんとなくわかるような気がしてきた。そりゃ、民主主義がなかったと思っているイラクに民主主義を広げたのならば、彼らにとっては正義だろうし、キリスト教を信じないムスリムは「トンデモない人たち」と考えたとしても不思議ではない。「自分たちの国が最高だ、1番だ」と思いこむ人たちの陥った帰結なのだろう。カテゴリー化することは一面ではスレレオタイプ的にものごとをみることになり問題点も含むとらえ方だが、他方、理解をわかりやすくすることにもつながる。この意味で、こういった人たちをコンサーバティブと、ここでは呼ぶことにしよう。
コンサーバティブの人たちの特性にはいろいろあるが、たとえば、同性の当人どうしが愛しあい大切に思っている人たちに対して、男女の家族に認められる権利関係を適用することを頑なに拒むということがある。どうして拒むのか。自分が正しいと考える価値観とちがった価値観の人たちに対して、どうして対等に扱えないのか、私としてはなんとも理解しがたいことだ。
もちろん、アメリカ人がみんなそうだというのではない。寛容と自由、人権を大切にしていこうという勢力もかなりある。サンフランシスコの自由と寛容は、アメリカこそが正しいと考える原理主義の対立物のありかただろう。しかし、過去には、自由と寛容を言う人たちに対して殺害すら行われたことがあるし、それは今でもなくなったわけではない。寛容と自由・人権を中心とした価値観を持つ人たち(リベラル)と、聖書を真実とし相対化を拒否する価値観の人たち(コンサーバティブ)とが、するどくせめぎあっているのが今のアメリカといってもいいのではないだろうか。
自由と寛容を認めない頑固、両者がうごめきあって対立している。それがアメリカだ。あきらかに日本の雰囲気とはちがうし、また、アジアの文化とも異質だ。
ただ、アメリカの動向に一歩遅れながら真似していくクセがある日本は、最近、自由と寛容に冷淡である価値観を社会の普遍としていこうというコンサーバティブが台頭してきているような感じを受ける。
ひとつの例をだそう。君が代斉唱の問題だ。
君が代を歌うことは苦痛で歌いたくないという人に、どうして無理矢理に歌わせようとか起立させようとかするのだろうか。最近の日本にも、相対化を拒否したい人たちが増えてきているとしか思えない。それは、アメリカの負の要素をかたちづくっていることの真似なのに、たぶんその自覚すらないのではないだろうか。
【サンフランシスコとはどんな街か?】
自由なライフスタイルを許容するサンフランシスコ独特の雰囲気と相まって、他の地域からもゲイが移住してくるようになり、現在、サンフランシスコでは市の人口の30%がゲイだといわれている。
1975年、自らをゲイと公言するハーベイ・ミルク氏が市議会議員に選ばれたことは、社会的地位の確立を求める彼らにとって新しい時代の到来であった。しかし、ミルク氏は当選してから11ヶ月後に、保守派の議員であったダン・ホワイト氏に射殺されてしまう。現在でもミルク氏の誕生日である5月22日には、カストロ・ストリートでパーティーが開かれる。
サンフランシスコ市が、1989年の7月5日に同性愛者同士の結婚を許可したことは記憶に新しい。これによって、当局への登録をしたカップルに対し、雇用者はパートナーの病気や近親者の不幸などの扱いを婚姻者と同等にするよう義務づけられた。
自らの社会的権利を勝ち取ったゲイたち。その根底には、サンフランシスコの自由を愛する風土があった。そして、いまやゲイはサンフランシスコの町の活性化をはかるエネルギーのひとつとなっているのである。 (ヒストリカルシティ・サンフランシスコのホームページから引用)
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教え子の恋人(彼女)は、自分が通う大学で、一橋大の講師もなさっておられる村瀬幸浩先生の講義を受けたという。彼女がT女子大学に通学していると聞いたとき、ひょっとしたら村瀬先生が、性にかかわる問題について講義なさっておられなかったかと思い出し、「性教育関連の授業をとっていないか」と聞いたところ、授業を受けていたというだけではなく、この先生の授業をとっていたことで自分が救われたと語ったくれた。そして、もっと早く授業を受けていれば・・・とも話した。
実は、村瀬先生については、私も深い因縁がある。1998年のことだ。10月16日付の夕刊(朝日新聞)に公式には日本初の性別適合手術(性転換手術)が埼玉医大で実施されたという記事が載り、識者のコメントとして、村瀬幸浩さんが語られたことが載っていた。それを読み、私は、朝日新聞の「声」のらんに投稿したのだった(投稿記事は下記参照)。そこでは次のように書いていた。
「村瀬幸浩・一橋大講師のコメントを読み、今後の私自身の指針になりました」
「性同一障害(原文のママ)のことを人権の問題として、勇気を持って、ちゃんと生徒に話していける教員でありたいと、記事を読み気持ちを新たにすることが出来ました」
書いた以上は、ちゃんとその通りにやらないといけないというわけで、その後カミングアウトし、性的少数者が抱える問題を話していくようになったのだった。
当の村瀬先生の授業を聞くことが、自分自身に誇りと勇気を与えてくれたという教え子の恋人。そして、私のカミングアウトのきっかけをつくってくれた村瀬幸浩さん。そして、カミングアウトした私の存在があることで、私ともつながり、堂々とレズビアンであることを明かして生きていこうとする教え子。
人はどこかでつながっている。因縁とはふしぎなものだ。
男である苦痛を感じ続ける私 1998.10.20 朝日新聞朝刊 5頁
東京都 宮崎留美子(教員)
私は、男性でいることに苦痛を感じ、性別違和感を持つ高校教員です。十六日夕刊の性転換手術の記事中、「区別再考を」という学校や教師向けの村瀬幸浩・一橋大講師のコメントを読み、今後の私自身の指針になりました。
私は、女性への性転換を願いながらも、仕事など生活のことを考えると断念せざるを得ず、悩みを抱えながら毎日勤務しています。
男性である肉体がゆえに「男らしさ」が求められ続けてきた苦痛を、自分の教え子にはさせてはならないと思って、固定的な性別観念から解放され「自分らしく」生きることの大事さを授業では説いています。
今の社会では、私がスカートをはいて教壇に立つなどは、なかなか考えられない状況です。せめて、今の高校生が大人になったときには、性役割からもっと自由な雰囲気になって欲しいと、かなえられなかった自分の夢を子供たちに託すつもりで講義する毎日です。
性同一障害(ママ)のことを人権の問題として、勇気を持って、ちゃんと生徒に話していける教員でありたいと、記事を読み気持ちを新たにすることが出来ました。 なお、宮崎留美子は、心のバランスのため、週末などに女性としての時間を持つ時の私の名前です。