No.101 ロサンゼルスの日本人街、リトルトーキョー


(この文章は、「世界の街角と風景」コーナーとダブルでの掲載です)

 

 ロサンゼルスのダウンタウン(中心街)、地下鉄・Civic Center駅から歩いて10分程度のところに、リトルトーキョーという日本人街が広がっている。ちなみに、この一帯には市庁舎やロサンゼルス市警(たしか、刑事コロンボがこの市警の所属という設定になっていたような)がある、まさに中心街。もっとも、アメリカでは、裕福な人たちは、中心街よりは郊外に住む傾向はあるけれど(たとえばビバリーヒルズのように)。リトルトーキョーは、アメリカで最も大きい日本人街だと言われている。
 ここに足を踏み入れると、そこがロサンゼルスだということを忘れさせてくれる。日本風のデコレーションが一帯全体を支配していて、日本庭園風の岩が配されたりもしている。日本料理店がズラッと並んでいる。寿司、天ぷら、うどんや蕎麦屋さんは言うに及ばず、肉料理店も、おおざっぱなアメリカ風のステーキではなく、テリヤキにして美味しく供される牛肉。テーブルの上の調味料にはキッコーマンの醤油もあったっけ。
←背景は全米日系人博物館

 しかし、ここは、そんな日本の空気に浸るだけの場所ではない。全米日系人博物館があり、ここには、移民してから今日までの日系人の歴史が展示してある。とくに、第2次世界大戦中のアメリカ政府の日系人への処遇に重点がおかれていたようだ。日系人といっても、当時、2世は完全にアメリカ市民だった(1世については戦後になって市民権の獲得ができた)。アメリカ人であったにもかかわらず、敵国人として強制収容所に入れられていた。その様子が詳細に展示してあった。
 当時、同じ敵国人であっても、ドイツやイタリア系の人たちは強制収容されることはなかった。日本人だけが強制収容されたわけだ。有色人種への差別意識が根底にあったのではないかとされている。
 強制収容されたことに対して、ずっとあとになって、レーガン政権時代の1987年になって、やっと、アメリカ政府の公式謝罪があった。アメリカの人種問題は黒人差別ばかりではないのだ。
 1960年代の黒人の公民権運動とベトナム反戦運動は、日系人を含むアジア系のアメリカ人に意識の変革をもたらしたという。アジア系の自分たちの人権の問題として、社会に対して運動していくことが大切だという意識を生み出したとされている。そして、今では、「アメリカという国は、多様な人たちから成り立つ多様性を受け入れる社会である」という意識を、白人を含めアメリカ人全体に広がってきたというのが、70年代以降30数年間の歴史であったと説明されていた。
 博物館で、私に説明してくださった日系人のボランティアの方に聞いてみた。
「あなたは、戦争中、日本とアメリカとどちらに勝ってもらいたかったと思っていましたか?」
これに対して、彼は次のように答えてくれた。
「どっちに勝ってもらいたかったということはなかったですね。とにかく早く戦争が終わって、アメリカと日本とが、今までのように仲良くしてもらいたいと思っていました」
 この答えには、なるほどと、言葉が心に染みた。アメリカにも日本にも、同じ民族がいるわけで、どちらが勝った方がいいなんて発想が、どだいまちがっているのかもしれない。「早く戦争が終わって、アメリカと日本とが、今までのように仲良くしてもらいたい」・・・・日本とアメリカと、2つの国にまたがって生きてきた方から聞いた、今でも心に強く残る言葉だった。
 ちなみに、このボランティアの方は2世だということなのだが、戦争直前に、たまたま用事で日本に行っていて、そのときに日米開戦となって、そのまま日本に留めおかれたとのこと。日本滞留中は軍需工場で働かされたということ。この方が働いてつくった武器が、自分の生まれ故郷であるアメリカを攻撃するために使われる。なんと皮肉なことなのだろうと、戦争というものの残酷さを感じずにはいられなかった。
 日本では、アメリカ人だということで、まわりの人たちからいじめられていた。片や、アメリカにいた親戚は、日系人であるというだけで「敵国人」扱いさせられて強制収容所送り。日系人は、日本でもアメリカでもどちらにいても差別されたりいじめられていたという困難な状況があったのだった。
 こんなアメリカの日系人のおかれた状況を知るにつけても、戦争は国民ひとりひとりには、絶対にプラスをもたらさず悲惨さだけをもたらすものであるということを、改めて感じた。どんな理由をつけても、戦争が国民にプラスになることはありえない。なのに戦争は起こる。現に、60年前、日本とアメリカとは戦争状態にあったのだ。プラスと感じるのは、権力者の思いだけにすぎない。しかし、権力者はさまざまな広報手段を通じて、国民に、戦争は必要なのだとだまし続ける。
 私たちは2度とだまされないぞと思わずにはいられなかった。

 またぞろ、「教育基本法の改正は必要だ」ともっともらしい理由をつけて、私たちをだまそうとする人たちが出てきている。うかうかしていると、もっともらしい理由ゆえに、なんとなく「そうかなあ」とだまされてしまう可能性もある。
 日米の戦争で、どちらが勝ったがいいかなどという発想をすることじたいがまちがっていることを、2世の方が教えてくれたのだが、私たちは、なんとなくまちがった方向の発想に取り込まれてしまう危険性を誰でもがもっている。そこを巧みについて利用してくるのが権力者だ。もっともらしい言葉には、必ずきな臭い背後がある。
 現在の教育基本法は、「どちらが勝ったがいいか」などという発想ではなく、誰でもが、自分という個性を大切にみんな尊重しようよという大事な発想を込めている。戦争という大変な犠牲のうえにやっと獲得した教育の根本なのだ。
 改正した方がいい、などという甘言には、絶対にだまされてはいけないと、ロサンゼルスの全米日系人博物館を見学して改めて感じている。

・・・・全米日系人博物館では、日系人の歴史が詳細に展示されていて、さらに、ボランティアの方がていねいに説明してくれるところでもある。もちろん、日本語で説明してくださる。ロサンゼルスを旅行されたら、一度は足を向けてみたらどうだろう。