No.98 文化多様性条約に反対したアメリカ


 2005年10月18日付夕刊(朝日新聞)で、小さな扱いの記事であったが、アメリカがまた世界の流れに反して、自分勝手な主張をしていることの内容があった。まずは、その新聞記事を引用する。

文化多様性条約 ユネスコ委採択 米国は反対

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)総会の第4委員会(文化担当)は17日、文化多様性条約を日本を含む大多数の賛成で採択した。固有の文化や多文化主義をグローバル化から守るため、各国が保護や助成などの措置を取ることを認めた条約。ハリウッド映画など巨大文化産業を抱える米国は、映像や音楽といった文化的表現の保護王義につながるなどとして反対した。
 文化を保護の対象とすべきか、それともモノやサービスと同様に自由なやりとりに任せるべきかが論議の的になったが、採決では151カ国が賛成、米国とイスラエルが反対し、オーストラリアと太平洋の島国キリバスが棄権した。19日からの総会議本会合で正式採択され、30カ国が批准すれば発効する。


←125年の歴史を持つ浅草にある神谷バー.そこの歴史あるカクテルが「電気ブラン」.明治の初期に売り出され、そのときの味を今も続けているというお酒.こういったバーがなくなって、みんなスターバックスになってしまつたらたいへん.レトロなテイストのカクテル「電気ブラン」.ぜひ、浅草に行ったときには神谷バーに入り飲んでみてください.1杯=260円という安さです.

 151カ国に対して、わずかにアメリカと親米国のイスラエルが反対したという、我が勝手な路線はまだ健在のようだ。
 文化の世界には、カネではペイしないことがらも多々ある。膨大な宣伝費を使ってアメリカの文化を持ち込んだとき、そこの地域独自の文化の担い手がなくなっていくということも十分にありえる。
 ハリウッド映画だけが、この地球の映画の世界ではない。しかし、映像技術がはるかに高度にすすんでいるハリウッドの前に、他の国の映像文化が衰退していくということは十分に考えられる。果たしてそれでいいのかということを、それぞれが問わなければならないと思う。
 地球上で使われている車が、10カ国程度の生産国のものであったりとか、あるいは、電化製品がほとんど特定国のものであったりとかというのとはわけがちがう。文化には、それぞれの国の伝統や習慣、ものの考え方など、いろいろな面での色彩が関係している。この地球の文化が、あるひとつの色彩で染められてしまうという想定をすれば、なんだかゾッとしてしまう。
 経済力の弱い国の文化が、21世紀のうちに潰えさってしまってもいいのだろうか。私たちの社会には、自由な競争によって勝ち残るというばかりではまずい分野があるはずだ。なんでも、自由競争こそが善であるという「思想」が、この10年来、かなり幅をきかせているが、それはあまりにも短絡したとらえかたではないかと、私は思う。
 マクドナルドのハンバーガーは、今や、世界中のあちらこちらで食べることができる。中国、東南アジア、ヨーロッパの各地、旧共産圏であっても、目抜き通りにマクドナルドのショップが建っている。味は、東京で食べてもワルシャワで食べても、はたまたバンコクで食べても、ほとんど同じだ。この意味では、マクドナルドというアメリカ生まれのファストフードの食文化はグローバル化しているといってもよい。今の時点では、私は、マクドナルドのグローバル化に反対するわけではない。マクドナルドの進出で、その国の固有の食文化が消滅してしまったというわけではないからだ。ポーランドでは、マクドナルド店の目と鼻の先に、バルシチというポーランド料理である赤かぶスープを出す店が繁盛している。アテネには、マクドナルドの隣に、ギロピタというギリシアのファストフードを売る店がある。グローバル化したマクドナルドが、その国の食文化を破壊してしまったとはなっていないので、ある意味では共存しているわけで、であれば、目くじらを立てようとは思わない。
 しかし、その国の文化を衰退させてしまう分野がある場合には、これは、私は、その国の責任として、しっかり保護していかなければならないと思っている。もし、どこの国に行っても、ファストフードはマクドナルドだけしかないとなれば、これは困る。このような事態になると仮定すれば、マクドナルドの進出から、その国の食文化を保護しなければならないだろう。

 この地球上に、多様性、多文化の共存を、しっかりと育てていくことが最も大事なことであって、それを保障した上でのグローバル化でなければならない。
 アメリカや日本にはあちらこちらにあるコンビニは、イタリアやギリシアにはない。一方で、タバッキといった飲み物や雑貨的な屋台を大きくしたようなものはあるが、私たちがイメージするコンビニとはちがう。また、日本では、どこに行ってもすぐに見かける自動販売機は、ヨーロッパではほとんどみかけない。あったとしても、日本のものとはかなりちがう。コンビニもなく自動販売機もない国だと、それになれた私たちは不便を感じはするが、そういうものがない社会というのも、またひとつの文化なのだ。コンビニや自動販売機があちらこちらにあることが便利なのだから、世界中、そういう文化にしてしまえというのは、あまりにも乱暴だろう。
 すべてが、アメリカの発想を基準とするありかたには、私は納得できない。