No.90 中国とタイで体験したトランスジェンダーへの対応のちがい

←上海、浦東国際空港の出発ゲートにて
 上海の浦東国際空港経由でタイに旅してきた。タイのバンコクに行くのに上海経由を使ったのは、航空運賃が安いからという理由である。上海を中心に国際航空路を展開している中国東方航空という航空会社だ。8月の航空運賃は概して高い。日本のエアラインやタイ国際航空などの直行便だと、格安航空券でも、往復で10万円はかかる。ところが、中国東方航空の上海経由だと5万円で往復できるので、これは魅力的だった。しかし、上海を経由したおかげで、思わぬ体験をすることになってしまった。この体験は、中国とタイとでは、私たちのような人に対しての接し方で大きなちがいがあり、そのことが「戸籍変更があればそれで解決なのか」という問いへのヒントを示唆してくれたということで、憂鬱な体験はあったものの、そのことをプラス思考へと変えていくことも大切だと思うのだ。
 私は、女性の姿で海外に行くことがほとんどだ。パスポートの写真と名前は「宮崎留美子」というわけにはいかず、男性としての私の写真と名前になっている。宮崎留美子モードの私とはかなりちがっているし、第一、外見の性別が異なっている。
 上海の空港は、トランジット(空港外に出ずに乗り換えるだけ)の旅行者であっても、中国への入国と出国の審査を受けなければならない。『タイとちがって中国はオカタイところがあるからなあ』と、いささか不安な気持ちを持ちながら、私がパスポートを提出すると、案の定、問いただされることになったのだった。
←タイのチェンライで.人力車(サムロー)のおじさんと
 写真の姿や性別と、現実の私の姿と外見の性別の違いに、上海の入出国審査官は、かなりためらっていたようだった。私のような人を目の当たりにしたことはなかったのかもしれない。「私は日本のトランスジェンダーだ」と説明しても、なかなか了解しようとはしない。ついには、空港内の入管事務所に連れていかれる羽目になった。事務所ではあれこれと聞かれる。私のパスポートを見せながら、「ヨーロッパでもタイでも、なにも問題にされなかった。日本には、私のような人もそれなりにいる」と説明するのだが、的を得たような反応にはならない。ひとりの係官は、ルーペを使って、私のパスポートを調べていた。偽造パスポートではないかと疑ったのかもしれない。偽造であるわけはなく、なんらおかしなところはないため、係官も、私に対して、とりたてて居丈高になることはなく、まあ、ていねいに接してくれたとはいえる。
 別の係官は、なにやら書類をつくっていた。書類に記す文章量もけっこうあって、書き終わるまでに結構時間がかかる。「乗り換えの飛行機の時間が迫っている」と話すと、「だいじょうぶだ」と保証され、日本に送り返すというような措置をとるわけではないことはうかがい知ることができ、少しはホッとした。
 40分ぐらい、事務所にいただろうか。結果としては、入出国はOKとなり、めでたく、予定の上海からバンコク行きの飛行機に乗ることができた。

←タイのメーサイで.微笑んで一緒に写真に入ってくれる
 戸籍の性別を変更する運動の過程で、運動の中心的人物であった虎井まさ衛さんが、テレビでのインタビューで、「戸籍にもとづいたパスポートの性別と実際の外見の性別とが違っていると、入出国のチェックのときにあれこれと問いただされ、海外に行くときに、トランスジェンダーであるというだけで苦痛を受けなければならない」というような主旨のことを語り、こういった現実の生活での苦痛の場面があることが、戸籍の性別を変更してほしいと願う背景として話されていたことがあった。この話を聞いた当時は、説得力を持った理由として私も受け止め、実際にも、私が経験した上海の空港での詰問のようなことがあれば、戸籍が変わっていてパスポートの性別も変わっていたら、こんな不便もなくてすむのになあとも思っても不思議ではない。

 だけど、ちょっと待ってほしい。そう結論づけるのは早すぎる。タイでの入国審査は、上海とは全く違ったからだ。

 タイの入国審査のときパスポートを提出する。係官は、私の写真をみても、なんの表情も変えずに、こういった人はいくらでもいるからといったかのごとく、質問も全くなく、ごく自然にスタンプを押してくれ、なんの苦痛を感じることもなく入国できたのだ。
 今回は、タイ北部のミャンマーとの国境の街、メーサイから、ミャンマーのタチレクに入り、またメーサイにバックするという旅をしたのだが、メーサイの入国審査官は、笑顔で「ビューティフルだね」などと愛想よく言葉をかけてくれたりした。とてもフレンドリーな雰囲気で接してくれた。ミャンマーのタチレクの係官は、私がカメラを持っているのを見て、一緒に写真を撮ろうと言う。こちらの方は、物珍しさからだとも思うが、タイの係官の方は、パスポートを含めて、登録の性と実際の性別が違っていても、それはよくあることだというような自然な話し方だった。
←ミャンマーの入国審査官.一緒に写真を撮ろうと言われた
 そういえば、たまたま、ホテルでタイのテレビ番組を見ていたとき、番組は、性同一性障害とかニューハーフの話題などではなく、ごく一般的な話題であったようだけど、街でインタビューされた人としてトランスジェンダーが出てきたり、コメンテーターとして出ていたりするシーンを見ることがあった。声のトーンの低さとか、顔つきから、その人の身体の性別は男性であるということは、だいたいはわかる方だった。それでも、全く普通に、テレビのなかの一人のタイ人として普通にでていたのだった。タイではとくに珍しくもないのだろう。社会のなかの一構成員として完全に認知されていると感じた。

 今回、中国とタイとで、トランスジェンダーに対しての明らかな対応の違いを、肌身で体験したわけだが、もし、虎井さんが、タイの住人であったとしたら、あれほど、戸籍の変更を求める運動をしただろうかと考えてしまう。戸籍をもとにしての登録上の性別と、実際生活場面での性別がちがうことで、あれこれと詰問され、生きていくだけでもストレスがかかっていたということが背景にある。となると、たとえば、タイのように、性別が違っていても「そんなのはどうということはない」という社会の雰囲気があれば、戸籍の性別を変えることは、もはや、その人にとっての重要事ではなくなってしまう。現に、タイでは、ID登録の性別を変更する運動はほとんどないと聞いている。
 だんだんと見えてきた気がする。
 戸籍の性別を変更することで、その人の日常生活の人権が守られるようになることが、決して本質ではないということ。いろいろな性のあり方を、「別に、その人の生き方であれば、それでいいじゃない」と、社会全体として認めていける、そういう雰囲気になることが本質なのではないかということ。
 中国は、多様な性の人を認めあっていける状況にはないようだ。パスポートとの性別が違っていたらあれこれと詮索される。タイは、違っていても、係官は自然に接してくれる。この面においては、タイの方に軍配をあげなければならないようだ。この点では、タイの観光キャッチフレーズである「微笑みの国、タイ」というのは、まさにその言葉通りではないかと、心温まる思いで、今回も楽しく、タイを旅行してきた。

※もちろん、タイには、いろいろと、かかえる大きな問題が横たわっている。タイが天国だと言っているのではない。