No.75 大学のタイ社会の研究者からのメッセージ
私のホームページを読まれて、タイ社会を研究なさっておられる沖縄の「名桜大学の山田均先生」からメールをいただきました。短い期間だけの旅行者である私が感じたタイの感想が、本当に当を得ているのかどうか不安もありました。山田先生からのメールを読み、少なくとも、大きくまちがったとらえ方をしているわけではないことを知りホッっとしています。私とはまた別の方の、しかも、タイ社会のことに詳しい大学の研究者のご意見として、これも、ぜひ参考に読んでいただければ幸いです。
※上の文章中、「名桜大学の山田均先生」の文字をクリックしてください.先生のサイトにリンクしています。
(以下、メールから、必要部分を抜粋)
←タイ・プーケット・ピピ島のマヤビーチ(プーケットから舟で2時間、あまりの美しさに絶句し息を飲みました.写真で片鱗を味わってください)
ホームページでタイのことをお書きになっているのを読みました。
まったくそのとおりなんですよ〜。アメリカ型の社会でのやり方が何もかもいいと思って真似をしているさまざまなムーブメントは、タイに慣れた目には何をやっているのか意味不明です。そもそも土台になる社会の根っこもありようも違うので、そこにあるものを持ってきて植えつけようとしても陳腐な結果になるだけだと思います。
「人権」もぼくは比較思想論という講義で取り上げますが、根本にはキリスト教の思想があって、そこから近代になって発生した一つの概念に過ぎないと説明しています。キリスト教にせよユダヤ教やイスラームにせよ、その中での動物の地位はごく低いもので、人間に支配されるべく作られたもの、という扱いです。近ごろ西洋では動物を「保護」していますが、タイなど野良犬は特に保護されていませんけど、バンコクだけで何と15万頭が「共存」しています。神の前では人間は、神を信じる限りは平等ですが、犬やネコは論外です。仏教では、犬もネコも人も、姿かたちが違うだけで、同じいのちです。異物を排除するキリスト教の社会は、どこかゆがんだ思い込みの世界だと思います。明治以後のキリスト教の影響が、本来おおらかであった日本人の性の世界を、妙な思い込みで塗りつぶしているように思います。
一方、キリスト教がどうしても影響を与えられなかったのがタイですから、タイの自由さは筋金入りです。【以上、山田先生のメールから】
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バンコクからバスで2時間あまり。バタヤビーチ。ピピ島ほどの海の透明度はないが、海岸通り沿いには欧米系の人たちなど、外国人を多く見る→
もともと、ちがった存在、異物を排除する考え方が少なかった仏教思想。とはいえ、日本の仏教宗派のなかには、他の宗派を邪教として排除する団体もある。タイの場合、日本などの大乗仏教とはちがう、上座部仏教(いわゆる小乗仏教のこと)が広まっていることが、日本ともちがった社会のあり方を醸し出しているのだろうか。さらには、山田先生がおっしゃっているように、日本はキリスト教文化の影響を受けたのだが、タイは、「キリスト教がどうしても影響を与えられなかった」ということから、ちがった状況を醸し出しているのかもしれない。
でもどちらにせよ、日本の場合は、アメリカの文化に比べれば、タイの文化と共有できることの方が多いのではないかと思っている。だって、大乗と上座部とのちがいはあっても、一応は、仏教文化の影響がある国なのだから。そして、同じアジアの仲間でもある。
「アメリカ型の社会でのやり方が何もかもいいと思って真似をしているさまざまなムーブメントは、タイに慣れた目には何をやっているのか意味不明です」・・・・本当にそう思う。タイ社会の発想の影響を受けてしまったら、アメリカ型の社会がなんだか馬鹿馬鹿しいことをやっているように思えてきてしまうのだ。
山田先生のサイトに、次の文章があった。「『自由』『人権』なども、当然のものとして私たちの前にある価値なのではなく、一つの思想にすぎません。それを当然であり、疑いのない価値であると考えることは、世界を理解するためには大きな間違いです。極端な話、自由や人権という考えがなくとも、人間の幸せな暮らしが実現している事例はいくらでもあり、自由や人権という考えの下でも、不幸な社会もまた多いのです」
うーーん。タイの社会を垣間見ると、この言葉がリアリティをもって迫ってくる。日本のいろいろなムーブメントも、アメリカなどよりは、もっともっと、タイから学ぶことをすすめていったらどうだろう。今までとちがった新しい視野が開けてくるにちがいない。【この部分は、宮崎留美子が記す】