No.66 ワン・ダラー(中国・シンセン市でのこと)
「ワン・ダラー、ワン・ダラー」
3,4歳ぐらいの子どもだろうか。私の足にまとわりついてお金をせがんでくる。かわいそうなのだが、物乞いに情けをかけたとて、一旅行者が彼らを救済してあげることは不可能だ。無視して去っていこうとすると、なおも執拗に足を引っ張ってくる。相手が大人であれば「やめてほしい」と突っぱねるところだが、いたいけな子どもを見ると、とてもそんな気持ちにはなれない。
負けてしまった。私は、その子どもに1ドルコインを渡した。そうすると、横にいたもう一人の子どもも「ワン・ダラー」とせがんできた。1人に渡して他の子にはダメということもできない。結局、コインを渡すことになるのだが、財布に、1ドルコインはなくなっていた。そこで代わりに1元のコインを渡すことになった。
ワン・ダラー、ドル、元? なんのことか説明が必要だろう。
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香港側とシンセン側の接続口 羅湖駅(こちらはシンセン側)
車も多く、超高層ビルが林立する近代都市シンセン
その場所は、中華人民共和国のシンセン(※)という都市。香港の九龍から九広鉄道で40分ほど行ったところにある中国の都市だ。今では香港も中国なのだが(1997年にイギリスから返還された)、香港は「中華人民共和国特別行政区」という位置づけで、準国家的な扱いになっている。香港からシンセンに行くためには、境界の駅である羅湖で降り(電車の終点)、まずは、香港を出国する手続きを行う。そして通路を通っていくと、小さな川を渡る。ここが国境みたいになっている(純然たる国境ではないだろうが)。そのあと、中華人民共和国への入国審査を行うことになる。パスポートの性別表記である「男性」の姿ではなく、宮崎留美子という女性の姿で入国するに際して、ちょっとしたトラブルがあったのだが、その話は別の機会にまわしたい。
香港の通貨は「ドル」。といっても、一般的な米ドルではなく香港ドルである。1香港ドルは日本円で15円強(2003年秋の時点)。子どもがせがんだ「ワン・ダラー」というのは、この1香港ドルのことなのだ。そして、1元は中華人民共和国の通貨で、だいたい1香港ドル弱といったところだろう。シンセンでは、香港ドルは同じ数値の「元」と同価値として市内で普通に使える(逆はだめ.「元」は香港では使えない)。
ワン・ダラー(1香港ドル)は15円強なので、日本人の私からみると端金でしかない。しかし、物乞いをする中国人からみれば、決して端金ではないのかもしれないのだ。こんなところで日本との経済格差を感じてしまった。
(※)シンセン・・・・シン(深)の文字は漢字変換されるが、センの文字は変換されない。土へんに川の字を組み合わせた文字。変換されないためシンセンと表記する
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当地では普通の光景なのかもしれないが、私としては目をそむけたくなる場面もあった。まだ、生まれてから2,3週間ぐらいしかたっていないだろうような赤ちゃんを、コンクリートの地面に薄いタオルを敷いただけのところに寝かせて、その側で、3,4歳の子どもが頭を下げている。
シンセンは北回帰線あたりに位置するため、日本よりはずっと南。沖縄の石垣島とか西表島より南になる。秋とはいっても優に30度を超えている。その直射日光にさらされると、大人でも日射病になるやもしれないのに、生後2,3週間の赤ちゃんを、そんなところに晒して死ぬことはないのだろうか。
シンセンは経済特区になっていて、社会主義中国のなかでも特別の位置をしめている。経済特区はいくつか指定されているようだが、その地域は、他の地域からは閉鎖された形で資本主義的な経済システムが導入されているところである。
入国審査を通り、シンセン側の羅湖駅前に降り立つと、もうまさに「資本主義」。ビルの屋上には、大きな「CANON」の電光看板があり、「麦当労」と書かれたマクドナルドのお店も目立つ。呼び込みや、商売のチラシ配布もあったりと、日本の繁華街とたいしてかわりはない。店内に入り、カメラなどの精密機械や電気製品をみると、ほとんどといってよいほど日本製のもの。当然にも、それを購入できる層がいるということだ。
マクドナルドに入ってみた。日本と同じアイスコーヒーはなかったが、カフェオレに生クリームを積み上げたものが、日本円にして150円程度。日本よりは安いだろうが、しかし格別に安いというわけではない。とはいえ、店内では、女子高生風の若者が飲んだり食べたりしていた。そういった価格帯のものを買える購買力がある人たちなのだろうと思う。ところがその一方で、「ワン・ダラー」とせがんでくる子どもたちや、コンクリート路上に寝かされた赤ん坊がいる。貧富の差をまざまざと見せつけられる気がする。
資本主義の経済システムとは競争を前提とすることであり、勝者と敗者が出てくることを是認する社会である。このシステムを導入するということは、社会主義中国といえども、貧富の差の存在を認めなければならないことになるということを意味する。経済発展のためだとはいえ、日本では久しく見なくなった光景に、やはり心が痛むものがあった。超高層ビルがニョキニョキとたっている近代的なシンセン市の別の一面を見た気がした。
ちなみに、香港(※)では、そういった光景を見ることはなかった。香港でも貧富の差は激しいのだが、そこまではしなくても、なんとか暮らせていけるレベルまで国民所得が上がっているのかもしれない。資本主義の市場経済方式を導入して経済発展をはかろうとする選択肢は、ある意味では必要なことだったのだと思うのだが、一刻も早く社会福祉の充実にもとりくみ、赤ちゃんを「お涙ちょうだい」の看板にしてまでの物乞いがなくなるように、アジアの一員として願わずにはいられない。
(※)香港は、アジアのなかでは、1人あたりの所得で、日本につぐ高所得国