No.50 医療系学生の自主ゼミで交流したこと

2002年12月末、「ポスト医ゼミ in 大阪」の集会で

 私は、医療系の方面には疎かったため、初めて聞いた集会であり、全く知らなかった学生の自主ゼミであった。
 主催者の説明によると、全国医学生ゼミナール(略称 医ゼミ)というのが、毎年夏休みに、どこかの大学を会場にして開かれているとのことだ。今年は、鳥取大学で開催され、性同一性障害についての分科会が出されたとのこと。
 今回は、夏の医ゼミのローカル版みたいなもので、主に関西の医療系学生が集まって勉強や交流を行うとの趣旨で開かれたということらしい。「ポスト医ゼミ in 関西」というのは、その意味あいを示している。
 開催日の10日ほど前、私に、性同一性障害のことについて話してほしいとの依頼があった。講演の依頼としては唐突な話であり、手際の稚拙な部分も、むしろ学生らしくて微笑ましいと思ったものだった。そして、20年以上前にアイデンティティを形成してきたトランスジェンダーとして話していくのも、学生にとって何かプラスになるだろうとの思いで、12月末、関西医科大学で開かれたゼミに話に出かけた。

 私自身は医療系の学問を学んだことはないため、「性同一性障害」について、医学的な面から正確に話していくことはできない。だけど、トランスして生きている人たちがいるということ、また、トランスのあり方には多様なケースがあるということ、そして、ニューハーフの人たちが生きてきた実際のことを、体験を交えて話すことはできるだろうと思った。「障害」の名称からイメージされるように、つらく、暗く、悩みに悩んで生きている人たちだけではなく、自分の性のありように悩みながらも、前向きに「自分を楽しみながら」生きている人たちがけっこういるということも語りたかった。
 診断基準からはずれていて性同一性障害との診断はなされないのかもしれないが、自分の性別のことで、心の性と体の性のズレに葛藤しながら生きているさまざまな人たちや、「ブラジャーをする男たち」のような、一見、変態でくくられてしまいそうな人たちのことも話していった。そして、高い壁で区別することはできないのだということや、性のグラデーションことも話題にした。
 トランスの実態を、性同一性障害という名称でイメージされるものだけに収斂させてしまうことはできない。いろいろなトランスの人がいていいのだし、「あれはまっとうな性同一性障害」「これは変態な女装屋」などと区分しようとすることは、絶対におかしいと思う。トランス以外の性の多様性についてまでは語る時間がなかったが、当然にも、性の多様性は、トランスだけのことではないことも、わかっていただけたものと思っている。

 いつものことながら、講演後、私に話しかけてくるのは、女性のほうが屈託がない。男性はどうしても斜にかまえてしまうのだろうか。「自分とちがう存在」だと思ってしまうのかもしれない。その点、女性は、同じ地平で見てくれる。
 男性から触られるのは私も困るが、私の胸がどうなっているのかと屈託なく触って喜ぶ女子学生は、とても楽しい人たちだ。私とツーショットで写真を撮りたいとせがんでくるのも、分け隔てがなくて実にいい。キャピキャピと楽しんで、性のありようのちがいなど吹っ飛ばしてしまう。そういう女性のパワーは、「らしさ」に縛られることが男性よりは少なくなっていることの表れだろうか。
 これからの社会で、「らしさ」にとらわれの身になってしまっている男性は、ジェンダーフリーの方向の中に自分を適応させていくのに、自分とのたたかいを強いられるのかもしれない。