No.49 今、「人間の壁」を読み返して
今、「人間の壁」を読み返して
ページが茶色っぽく変色した新潮文庫を、書棚の奥から引っ張り出してきた。うっすらと埃がかぶっており、古本特有の臭いがする。この本を初めて読んだのは、20年近く前になるだろうか。教師になりたての頃だったように思う。当時、考えさせられたり感動させられた箇所だったのだろう。ところどころに赤線が引いてあり、青年教師の頃の私の新鮮な気持ちを彷彿とさせてくれる。
教師としてどのように生きていったらよいのかを深く考えさせてくれた本が、新潮文庫の「人間の壁」だった。上中下の3冊組で、個々の1冊もそれなりに厚い本だ。大作の部類に入る小説だと思う。著者・石川達三が力をかけてしあげた作品だと思われる。
今回(2002年12月)、佐賀県教職員組合の方々と交流をもったことをきっかけに、再度読み直そうという気になり書棚の奥から探し出してきた。実は、人間の壁のモデルとなった場所と人は、佐賀県であり佐賀県教組の組合員だったのだ。小説のなかでは、「S−県教組」という表記になっている。
20年近く前、教員の道を歩きだしたのだが、毎日毎日の授業準備やその他のさまざまな仕事に追われてしまって、どういう教員であるべきかなどといったことを考える余裕などはなかった。一方、職場では、教員の嫌な面も見ることがあった。
当時、障害児学校に勤務していた頃、ベテランの教員から「生徒に愛情を持て」と叱責されたことがあった。高校の枠で採用されたものの高等学校への赴任とはならずに、障害児学校への赴任となり、私がやりたかった「政治経済の授業」など1時間もない状況があり、私はふてくされていたような気がする。いきおい、生徒への「愛情」が見られないように映ったのかもしれなかった。ベテランの教員から叱責された私は、教員としての自分の不甲斐なさに苦しんだ。
ところが、「愛情をもて」と叱責したこのベテランの教員が、教頭試験に受かりやすくなるために、さっさと数年でその学校から別の学校へ移っていったことを知ったとき、「生徒への愛情」という言葉の軽さを嫌というほど思い知らされた。「生徒に愛情をもつ」教員をめざすのであれば、生徒と離れ行政マン的側面が強くなる管理職ではなく、生涯一教師として生徒に接していくべきではないのかと、若かった頃の私は、教員としての自分の生き方を否応なく考えさせられる羽目になったのだった。ちょうどこの頃に出会った本が「人間の壁」だったのだ。主人公は、尾崎ふみ子という佐賀県教組の女性教員。尾崎の姓は離婚後の姓で、志野田健一郎と結婚していたときは志野田ふみ子。志野田健一郎は佐賀県教組の執行委員だった。彼の作中の人物像はこうだ。いかにして組合員の権利を守り民主的な教育をつくっていくかというよりは、組合のなかでの自分のステップアップである出世を考えるような人物であった。委員長選に立候補するのだが落選してしまう。本来ならば、ここで現場の一教師にもどることになるわけだが、彼にはそれはできなかった。もともと教師肌ではなかったのかもしれない。ここで彼は、佐賀県教組と、この教組が加盟する日教組を裏切る道を選ぶことになる。当時、結成されつつあった第2組合に加担し日教組攻撃の先鋒となっていく。聖職論をわめき、日教組のストを攻撃し、体制側と組んでの組合攻撃をはじめだした。志野田ふみ子は、この夫を見切り離婚する。そして尾崎ふみ子となった。
最初の頃は、押っ取り刀でついていっていた尾崎ふみ子は、日教組の運動の重要性をだんだんと理解してくるようになっていく。このあたりが、私自身の経験ともなんとなくだぶるような気がして、人ごととは思えず、作中人物に自分が置き換わったような錯覚さえ持ってしまった。
当時は、まだ発足して数年という日教組の全国教育研究集会(全国教研)なのだが、尾崎ふみ子は金沢での集会に参加し、本の中で、その集会の様子がけっこう細かく描写されている。当時の教員の生き生きとした姿が伝わってくるのだが、「人間の壁」を最初に読んだときには、このあたりはあまりピンとこなかったところだったった。しかし今はその状況がよくわかるようになった。一般の労働組合では行われない教研活動が、どうして教員の組合に必要なのか最近になって実感としてわかってきた気がする。
例えば「両性の自立と平等をめざす教育研究集会」。全国教研のみならず、各県の教組や高教組(高等学校の教職員組合、小中とは別組織になっているところがほとんど、私も高教組の一員)独自でも行っているところも多いようだ。この研究集会の大きな柱でもあるジェンダーにとらわれない教育を模索するということは、私たち自身のなかにあるジェンダーバイアスを見つめ直すこととつながる。トランスジェンダーの生徒が学校のなかで共生していくことをすすめていくということは、教員のなかにいるセクシュアルマイノリティの人たちを、同じ同僚として労働者として受けとめていく姿勢を育てていくこととつながっている。教員にとっては、労働者としての自分の権利を守る課題と、生徒への教育をどのように考えていくかということとは、決して切り離せるものではないと、20年近くたった今になって、やっとリアリティをもって受けとめられるようになった。これまでも、理屈としてはそんなことを口走ってはいたが、心から体から「そうだ」と言えるようになったのは最近のことでしかない。トランスジェンダーとしての自分のありようが、決してプライベートな領域だけのことではなく、もちろん、「変態行為」※としてのあり方ともちがい、社会のなかで考えていかなければならないと考えるようになっていった自分自身の姿勢の変化とも関係したのだと思っている。
※合意と自己決定にもとづく性のありようを「変態行為」と考えること自体に疑問を持っているが、ここではその議論はおいておく
変色した「人間の壁」の文庫本を読み返すと、ところどころに赤線が引いてある。赤線を引いたことについては、ほとんど記憶はない。でも確かに、私自身が引いたものだった。若きころの私が、教師としての自分のありようを模索していた跡がうかがえる。
「僕たち教師は、そういう場合に(目上の者が命令したとき・・・・宮崎による注)、反抗しろとは教えませんが、反抗することの出来る子供を育てたいと望んでおります(上巻から)」
「自分で考える人間にならなくてはいけない。自分の正しいと信ずるところを、親にでも先生にでも、正直に言うことの出来る人間になれ。そういう風に教えております(上巻から)」
社会科の教師としてどうあるべきかをいろいろと考えていたのだと思う。教員も含めた目上の者に唯々諾々として従い、自分の思考を停止して忠誠を誓うあり方を「美しい」と考える人たちへの痛烈な批判の言葉なのだったと思う。「反抗することができる」大切さを語ったこの部分に、当事の私は、たぶん気負いこんで線を引いたのではなかったかと思う。
その後、自分の教育観と異なる現実との妥協を余儀なくされながらも、ここで線を引いた精神は、たぶん忘れてはいなかったと思っている。今でも、この気持ちを大切に思っていて、この精神で授業している自分がいることに、若いときに感じた感性を裏切ってはいなかったと、ホッと胸をなでおろしている。
きれいごとで生徒に接することはしたくない。教員が「道徳」を押しつける指導もしたくない。私という教員を手本とするのではなく、私のことも参考に自分で考えていく生徒になってほしい・・・こんなことを思って教員をやっていると、多様な生徒のありのままを受け入れる気持ちになっていき、「甘い教員」「怒らない教員」「生徒指導ができない教員」になってしまったという気はしている。でも、そういう教員もいていいじゃないかと、勝手に思って毎日を過ごしているのが、今の私なのかもしれない。