No.48 「人間の壁」佐賀県の先生方と

「人間の壁」佐賀県の先生方と
〜佐賀県・両性の自立と平等をめざす教育研究集会でお話ししてきました〜

 とても気持ちよく交流できた「両性の自立と平等をめざす教育研究集会」をささえて下さったスタッフの方々と、集会解散後、講演会場の部屋で記念撮影しました。
 楽しく有意義に交流させていただき、佐賀県の教職員の先生方、ありがとうございました。


 佐賀県の教職員といえば、石川達三さんの名作である「人間の壁」(新潮文庫)のモデルになった場所と人たちだ。
 私が、まだ教員になりたてのころ、この「人間の壁」を読み、「自分自身が教員としてどう生きていかなければならないのか」というような強い刺激を受けたことを思い出す。ときどき、教育実習生などの「教員の卵」の人たちに、この本を紹介していたこともあった。それほどに、私の脳天をなぐられるばかりの刺激があった本だった。
 「人間の壁」を読むと、教員集団のなかにあるどろどろした人間関係や教育観の対立、を知ると同時に、自分の出世欲のために教職員の組合運動を裏切って、自分を相手側に売り渡してしまう「人の心の弱さ」をリアルに見せつけられた。20年前に読んだ当時、〈私自身はどのような教員になっていけばいいのか〉ということを突きつけてくれた本だったのだ。
 尾崎ふみ子という主人公の女性教員は、自分の夫が組合を裏切る形で変わっていくことを目の当たりにし悩みながら、自分が接していく子どもたちと向きあうがゆえに、教職員の組合運動を職場から地道に支えていく生き方を選んでいった。とかく、世間的には、「教員の組合はサヨクっぽくて生徒をほったらかしにしてストばかりやっている」というようなとても曲がった誤解が存在することは事実だ(内部にいると、そういうことは全くといってよいほど曲解であることがわかる)。私が教員になりたてのころは、自分の中に、そんな誤解した受けとめもたぶんにあった。
 そんな私を大きく変えてくれた本の1冊が、この「人間の壁」だった。生徒と真摯に向きあうことは、教職員の組合運動にもひたむきでいることと相反しない。むしろ逆だ。組合運動にひたむきであるということは、生徒をありのままに受けとめていける自分をつくっていくことと大きく関係しているのだということを、この本は教えてくれた。この本の影響もあったのだと思う。自分の職場の教職員組合に加入するなかで日教組傘下の組合員になっていくことにほとんど違和感はなかった。もちろん欠点のないすばらしい組織などありはしない(そういう組織があれば逆にその方が恐い)。日教組に言いたいこともたくさんある。でも、不満を言うだけの「評論家的な態度」であれば、現場にいる教員としては無責任でしかないだろう。ひたむきに現場から支えていた「人間の壁」の主人公である尾崎ふみ子の姿を自分を投影し、ありのままの生徒を受けとめていくことと、教職員組合を下から支えていくことを続けていける教員でありたいと思っている。組合運動に熱心に入りきれない自分があるのだが、少なくとも、尾崎ふみ子の夫のように裏切る行為をすることなく教員生活を続けていきたいと思っている。人として当たり前のことを言っているようなのだが、裏切らないで続けていけることすらも難しくなってきている時代が現実としてあるということが悲しい。

 この佐賀県で、女性センター「アバンセ」で開かれる両性の自立と平等をめざす教育研究集会で話をしてほしいとの依頼があった。人間の壁の佐賀の教職員の方と交流できるならばということで、一も二もなく「お受けいたします」という返事をし、2002年12月7日に東京を発ち佐賀へ向かった。佐賀空港までの飛行機がとれず福岡空港から高速バスで佐賀に向かうことになった。福岡空港からは1時間程度の距離だ。時間的にはそれほど遠くはない。しかし九州出身の私でも佐賀市に降り立つのは今回が初めてだ。九州各県のなかで、私が足を踏み入れたことがない県が佐賀県だった。佐賀県の方には失礼だと思うのだが、九州のなかであまり目立たない県であるといってもいいかもしれない。その穏やかな目立たない県が、今から46、7年前には、石川達三氏の小説の大舞台となった地域だったのだ。
 佐賀駅前は、県庁所在都市とはいえ、九州最大の都市である福岡市の博多駅前とか天神などとは、ずいぶんと趣がちがう。大きなビルが林立している感じではない。駅前に人があふれかえることもなく、新宿や渋谷を見慣れた私の感覚からすると、人影もまばらといったところだろうか。よくも悪くも「おだやかな」地方都市といった風情だった。
 私が話をするのは8日なのだが、前日に、佐賀県教職員組合で執行委員をなさっているTさん他数名の女性の教員の方々が、懐石料理のようなお店で懇談の機会を設定してくださり、4時間ほどお話しさせていただいた。
 男性モードで男性の立場でのお酒の場が苦手な私なので、勤務先の同僚の男性教員と飲みに行くのは、どうしても避けられない場合にかぎっているのだが、「女性」として、女性教職員だけで飲みあうのはとても楽しいし、解放される自分を感じることに2年ほど前に気づいた。私と同じ行政地域の高校女性部のある方々から、飲み会へのお誘いがあり、女性だけで飲んだときには、いつもとはちがい、外壁がなくなり明るく振るまえる自分がいることを知った。男性とであれば、ジェンダーのことを言いあってもなんとなくちがう。そこに気持ちが共有できない何かが残った。でも、女性の先生方とであれば、ツーカーでわかる体験を共有できる気がしていた。もちろん実際はそのような表面的なことではないのだろうが、少なくとも、私にはそう感じさせるなにかがあった。戸籍は男性である自分なのに、「女性」として飲みあうことの方がはるかに楽しいかった。夏に、熊本市教組や熊本高教組の女性の方と飲みあったときも同じ感覚だったし、福岡県教組の方とのときもそうだった。数日前に神奈川高教組の方々との交流のときには、2名の男性教員がいたけれども、その2名の方は、お2人ともジェンダーにとらわれない男性で、他の方は女性教員。そのときも、これまでと同じように開放された私がいた。
 男性教員だと誰でもが「つまらない」ということではない。兵庫性教協のK先生やM先生たちと飲んだときには憂鬱さはなかった。でも、お2人とも、固定的なジェンダー観やセクシュアリティ観の衣を脱ぎ捨ててしまっている方だった。
 「女らしさ」を言う女性の方は、私とはジェンダー観にちがいはあるのかもしれないが、これはそんなに嫌だということはない。「男らしさ」を脱ぎ捨てた男性もだいたいだいじょうぶ。でも、男らしさの衣を脱ぎ捨てていない男性だけはパス。男性どうしの飲み会の場で「女の話題」になっていくのは最悪。話をあわせなければならないため、私にとっては気詰まりでしかたがない(表面はそれなりの〈楽しさ〉を演じているので、私がこんな気持ちでいることは、他の方はたぶんわからないと思う)。

 佐賀県教組の執行委員や女性部長などでがんばっておられる女性教員に、「人間の壁」の主人公である尾崎ふみ子の姿を見た気がした。生徒としっかりと向きあい「自分らしく」生きていくことを話していきたいががゆえに、組合運動にもかかわっていかなくてはならない気概を感じたし、仕事の時間外に自分の時間を削ってまで、組合を担っている姿に、私ができない一途さを感じた。
 私も、本当に気持ちよく食べ、また、心地よく少し酔わせていただいた。こういう人たちががんばっているところで、私のような者の話が少しでも役に立つとしたら、こんなに光栄なことはない−−−字句通りであれば、たぶん大げさな表現かもしれないが、そんな気持ちが私の心の片隅に湧いてきたことはまちがいなかった。佐賀県教組の女性の人たちは、私をそんな気持ちにさせてくれた素敵な人たちだったのだ。

 書棚の奥で埃をかぶって眠っていた、20年近く前に購入し読んだ「人間の壁」(新潮文庫)をとりだしてページをめくってみた。そうしたら、つぎのところに赤線を引いていたことがわかった。
「僕たち教師は、そういう場合に(目上の者が命令したとき・・・・宮崎による注)、反抗しろとは教えませんが、反抗することの出来る子供を育てたいと望んでおります」
「自分で考える人間にならなくてはいけない。自分の正しいと信ずるところを、親にでも先生にでも、正直に言うことの出来る人間になれ。そういう風に教えております」
 教員になりたて頃、私の20代の青年教師の時代に、感動をもって読んだところだったのだろう。この本に赤線を引いたことは忘れていたのだが、このときの気持ちは、たぶん今でも持ち続けていると思いたい。
 生徒の前で、タテマエのきれい事は言わない。自分のありのままを語る。そして、ものごとの是非を生徒みずから考えてもらう。今でも、この気持ちは、たぶん私は捨てていないと思っている。
 思いついたら、思いつきみたいにパッパッとやってしまう性格もあって、ときにはオーバーランすることもある。授業の失敗もある。それでも、きれい事を「道徳的に」言う教員ではありたくない。こう思うのだ。
 ルールを破れと生徒に教えることはない。だけど、そのルールが妥当なことなのかどうかを考え言っていける生徒を育てたい。タテマエを振りかざし、「これはルールだから守れ」と、道徳を頭から垂れる教師にはなりたくない。佐賀県教組の方たちは、「人間の壁」に赤線を引いた青年教師のころの新鮮な溌剌とした気持ちを、今になって再度振り返らせるきっかけもつくってくれた。このことは、佐賀県に話に行った今回のことの、もうひとつの収穫であったのかもしれない。

福岡のNさん(左)と針治療の先生Iさん(中央)
 私の講演が終わってからだった。とてもうれしかったと同時に、責任の重さをズシッと感じる一幕があった。ぜひ紹介したい。
 会場には、佐賀県の先生方だけではなく、ジェンダーを学ぶ熊本大の学生さんも来ていた。そして、福岡県のN先生と一緒に来られた針治療をなさっている視覚障害者のIさんがおられた。
 「視覚障害も自分の個性だと思う。心と体の性がずれているあなたも、それを個性だとしっかりと言っていってほしい」
 概ね、このような主旨の発言があった。私たちの内部では、性同一性障害を個性だということへの支持者はあまりいない。疾患名だから病気であり障害だという声が強い。しかし、一方で、この方は、視覚障害を持っていることを個性だと力強く言っておられたことが印象的だった。「障害」というから疾患なのだと簡単に割り切ってよいのだろうか。医療の対象となることがらを「疾患」だと言うことと、そのありようを「個性」として受けとめようとする当事者の姿勢とは、位相がちがうような気がしてきた。
 どちらの言い分にも一理がある。自分の考えをまとめようとしても、なかなか難しい。でも、この視覚障害者の方の気持ちも、ぜひ受けとめていける自分でありたいと思った。
 この方がCDを見せてくださった。福岡県のN先生が、CD5枚分(約5時間分)にわけて、私の本である「私はトランスジェンダー」を朗読され録音し、Iさんはそれを聞いていらっしゃったというのである。私の本をそんなにまでして聞いてくださったことに言いようのない感動を覚えた。そして、私の体験と思いが、私たちトランスジェンダーとは全く違った分野の方にまで何らかの影響を与えていたとなると、著者として喜びと同時に、大きな責任を感じてしまった。そして、人は、いろいろなところでつながりあうのだなと思わずにはいられなかった。
 福岡から佐賀まで、わざわざ、私の講演を聞くために来てくださったNさんとIさん。熊本大学の学生さんで、遠路、熊本から来られたUさん。このような人たちにも、私は何かを伝えることができたのだろうか。故郷の九州の地に、少しでも波紋を投げかけることができたのだろうか。人前で話すことの責任の重さを感じた一幕だった。