No.46 金正日を批判しきれなかった社民党
社民党の一ファンとして、厳しい叱咤激励 金正日を批判しきれなかった社民党
私は、現在の社会民主党の前身である日本社会党の時代からのファンでした。父親は社会党員でありましたし、党の方に知りあいもけっこういます。現在でも、北陸地方の某小選挙区から立候補したことがあるKさんとは、個人的なおつきあいももっている者です。
社民党が弱者やマイノリティの視点に立った提言をしたり、ジェンダーに敏感な発言をするとき、私は拍手してそれを受けとめてきたひとりでした。
そして、私自身が、トランスジェンダーというセクシュアルマイノリティのひとりであることを考えたとき、少数者に心を配り、多様なあり方や生き方の人と共生していくという社会を展望する社民党は、私にとっての「心のよりどころ」となる党でもあったのです。だからこそ、社民党の誤りについては厳しく指摘して、2度と同じ過ちを繰り返さないように、党を叱咤激励していきたいと思っているのです。2002年9月17日、小泉首相が北朝鮮を訪問し、北朝鮮の金正日総書記と一定の合意に達し、日朝国交正常化の話しあいを再開する宣言を行いました。このなかで、金正日は、拉致問題を、北朝鮮の国家機関が行ったことをはっきりと認めました。これは、まごうことなき、国家犯罪です。どんなに厳しく批判しても批判し尽くせないほどの国家犯罪です。
過去に、日本は、朝鮮人を強制連行したという犯罪を犯したわけですが、同じような犯罪を、今度は北朝鮮が行っていたのです。
さて、社民党(社会党)は、北朝鮮に対して、きわめて同調的な、そして、北朝鮮の言い分を鵜呑みにするような態度を行ってこなかったでしょうか。下の方に、資料として、1997年の「月刊社会民主7月号」の記事を載せておきます。
横田めぐみさんの拉致事件を「根拠のない拉致疑惑事件」とはっきり述べています。しかし、この記事の主張は、今回、はっきりと誤りであったことが証明されたのです。産経新聞は、意図的に事実をねじまげ、ものごとをセンセーショナルに描き出す、きわめて問題のあるマスメディアだと思っていますが、こと、この事件の報道に関しては、産経新聞の方が妥当であり、社会民主党側の論説の方が誤りであったことになります。このことは、きびしく自己批判しなければならないことであるし、それを求めたいと思います。
社民党というより、社会党時代から、北朝鮮を「社会主義国」ととらえて、かの国への批判がにぶりがちというより、ほとんど批判をしてこなかったのではないでしょうか。
北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国と日本との間で、国と国との関係を正常化し友好関係にもっていくことと、北朝鮮の金正日の考え方を検討し、これに厳しい批判を加えることは、本来、相対立するものではないはずです。相手の社会主義についての理論に真っ向から反対しても、国と国との関係、国民同士の関係を、友好的にもっていくことは、十分にできるわけであるはずです。金正日の理論は、社会主義とは縁もゆかりもないと思います。もし、彼の理論を「社会主義」だというのであれば、社会主義になどなってほしくないとすら思います。社民党は、金正日の社会主義理論を「社会主義とは縁もゆかりもない理論」だと、はっきりと言うところから、拉致問題で犯した誤りを清算しなければならないと思います。
手元に、金正日の著による「社会主義建設の歴史的教訓とわが党の総路線」(在日本朝鮮人総聯合会中央常任委員会)という冊子があります。このなかに、つぎのように書いてあります。
「社会主義社会では『多元主義』が許容されません。『多元主義』が標榜する思想における『自由化』、政治における『多党制』、所有における『多様化』は、個人主義と自由主義にもとづいた生存競争が支配する資本主義社会の政治方式であります。社会主義は集団主義にもとづいた社会であり、人民大衆の統一を生命とする社会なので、社会主義と『多元主義』は両立しません」
「社会主義建設のためのたたかいでは国家と社会の利益を個人の利益よりもいっそう大切にし、そのために献身的にたたかう集団主義思想を持つことが、もっとも重要な問題として提起されます」
月刊朝鮮資料1987年9月号の「チュチェ思想教育で提起されるいくつかの問題について」では、つぎのようなとんでもない非科学的な記述を、金正日がしています。
「金日成主席は歴史上初めて、個人の肉体と区別される社会政治生命があることを明らかにしました・・・個別的な人びとの生命の中心が脳髄であるように、社会政治的集団の生命の中心はその集団の最高脳髄である領袖であります」
私は、人間の性のあり方には本当に多くの多様なあり方があるのであって、異性愛だけが正常であるだとか、また、男に生まれたら男として生きる、女に生まれたら女として生きるというような、男女の性別2元論的なありかたそのものが、性という人間の根元的な部分にかかわることがらで私たちを抑圧する考え方だととらえています。
社民党の保坂展人衆院議員は、東郷健さんの出版記念パーティで、「社会主義社会になれば、(同性愛という)お前の病気は治る」と言った故向坂逸郎氏の発言について、そのことは誤りであったとはっきりと述べ、申し訳なかったと話していました。保坂氏に過去の向坂氏の発言の責任はありませんが、社会党時代の重鎮のひとりであった向坂氏の言であったため、組織のひとりとしての謝罪だったのでしょう。
あるあり方を当たり前として、ちがったあり方をおかしいとする考え方は、多元主義とは相容れません。私たちセクシュアルマイノリティが、自分に誇りをもって当たり前に暮らしていける社会というのは、多元主義を基礎とした社会でなければ不可能です。そして、国家や社会の利益より個人の利益を大事にする、まさに「個人主義」を重んじる社会こそが、ひとりひとりの人間を大切にする社会であり、当然にも、日本国憲法の精神と一致するものであると思います。そしてこのことが、本来の社会主義の精神である、ひとりひとりの人間を大切にするという考え方につながると考えています。個人を最重要に考え、自立した個人の連帯の社会が「社会主義」であるわけで、社会民主党は、この基本的考え方にたっているはずではないでしょうか。
このように考えたとき、金正日の考え方は、社民党がもっとも批判しなければならない「とんでもない思想」だと考えていくのが順当であるはずなのに、逆に、北朝鮮を社会主義国だとして、金正日の理論に批判らしい批判を加えてこなかったのが、これまでの社会党や社民党ではなかったでしょうか。
北朝鮮の政治に対しては、内政不干渉ですから口出しすべきではありません。しかし、社会主義(社会民主主義)を標榜する政党として、金正日の社会主義理論に学問として批判を加えるのは、むしろ必要なことであったと思います。そういう作業がなされていなかったことが、拉致問題で、社民党がリーダーシップをとれなかったのみならず、下の資料のようなとんでもない見方をしたことにつながったのではないでしょうか。私は、10年ほど前、社会党的な冊子に(社会党の正規の冊子ではない)、北朝鮮の金正日の考えを批判する投稿をしたのですが、そのような投稿は無視されるのが当時の常態でした。
拉致問題を含めた一連の金正日の言動が垣間見えだした今、私の方の意見が正しかったと、しみじみと思っています。今後、社民党が、多元主義にもとづき、多様な生き方の人たちの共生、そして、セクシュアルマイノリティのことをしっかりととらえていくという立場に立っていける党であることを信じ、北朝鮮関係の過去の誤りを、はっきりと自己批判していける党であってくれることを期待してやみません。
「月刊社会民主 1997年/7月号」から
根拠のない拉致疑惑事件
日本だけが取り残されているかにみえる。日本政府はなぜ北朝鮮への人道的な食糧支援を拒んでいるのか。その能力も隣人としての責務もあるのにかかわらず。
表向きの理由として挙げているのは、少女拉致疑惑事件である。一九七七年一一月に新潟県の自宅近くで行方不明となった一三歳の少女、横田めぐみさんが、北朝鮮の工作員によって拉致されていた疑いがある、というのである。
しかしながら、拉致疑惑の根拠とされているのは、つい最近、韓国の国家安全企画部(安企部)によってもたらされた情報だけである。つまり、日本政府は何一つ証拠を握っているわけではないのである。五月一日、警察庁の伊達警備局長は「これまでの捜査を総合的に判断した結果、拉致の疑いがある」とする公式見解を初めて明らかにした。「拉致の疑いがある」との表現から、日本政府が何ら証拠をつかんでいないことがうかがえる。実際、日本政府は北朝鮮犯行説を裏づける具体的な証拠を示していない。
しかも、安企部が提供した情報には、不可解な点がある。
第一に、情報源とする北朝鮮の元工作員なるものの存在である。安明進という名の工作員について、北朝鮮はそんな人物はいないと否定しているし、安企部も写真の公表を避けている。三月一三日付産経新聞の一面トップには、この元工作員のインタビュー記事が写真入りで大きく出ているが、なぜか顔は伏せたままである。その産経新聞は、元工作員の亡命時期について「九三年九月四日」と本人がインタビューで語ったとしているが、二月三日付の同紙夕刊では「平成六年末」(九四年末)とある。一年数カ月も食い違うのはどうしてなのか。しかも、元工作員は自分が拉致したのではなく、スパイ学校の生徒だった当時、教官からかつて拉致したと聞いたとしているにすぎない。元工作員が本当に存在するのかさえきわめてあやしいと言わざるをえない。