No.35 女性部長選挙でのお友だちと

戦敗祝賀パーティ女性部長選挙でのお友だちと〜

 私が所属する教職員組合では2月に役員選挙がある。女性部長の選挙も、その役員選挙のなかのひとつだ。
 このページを見られている一般の方にはわかりづらいことだと思うが、教員をある程度されている方だとなんとなくわかることがらだと思っている。
 女性部運動のスタイルにもちがいがある。ひとつは「女性としての権利の拡大」「母性を保護する運動」というスタイル、もうひとつは、「多様な生き方」「ジェンダーフリー」を求めていくというスタイル。もう少しかいつまんでいうと、女性としての特性や特質をとくに重視した運動スタイルと、「らしさ」こそに問題があり多様なあり方をこそ求めていく女性部運動スタイルのちがいだと言ってもよい。
 私は、後者のあり方を支持することはいうまでもない。セクシュアルマイノリティは「多様なあり方」と「共生」にこそ通じるものがあるという思いは強い。前者のスタイルをとる女性部運動は、ある左翼党派がとるスタイルであり、私たちの視点とはかなりちがう。
 一般の人たちは、左翼といえば、共産党も社民党も一緒たくりにしてとらえるかもしれない。しかし、実は、けっこう「ものの考え方」として根深いところで対立があるものだ。
 上の写真に写っている女性の方々は、セクシュアルマイノリティのことを考えていくことが「多様性と共生」の社会を展望するときの手がかりになると考えている。選挙期間中に、この方々が出したビラのタイトルに次のような言葉があった。
「『ジェンダー』は奥が深い! −−トランスジェンダー、インターセックスetc セクシュアルマイノリティたちの生き難さを知ったなら少なくとも同性愛者をおとしめる言葉には笑えない−−」
 私たちセクシュアルマイノリティの思いをしっかりと受けとめて、女性部運動をすすめていこうという人たちに、私はとても共感した。私は快く求めに応じ、上の写真の矢印の方(女性部長候補・草淳子さん)の推薦文を書いた。セクシュアルマイノリティの運動と女性部運動が、それぞれ主体性をもちながらも連携しあっていく大切さを痛感したからだ(私が書いた推薦文を下に転載する・・・この文章は、2回にわたって、草淳子さんの選挙ビラに掲載されることになった)。

 選挙結果は、形としては「敗北」。
 もっとも、本人も選挙スタッフも、当選するとは思っていなかった。現時点での女性部運動の主流は、某左翼党派側であるからだ。
 でも、本人たちは、少しも落ち込んでいない。とても明るく爽やかだったのだ。自分たちの思いをこれだけいって、しかも、こんなに票をもらったということに、次への展望が開けたからだ。女性部運動も変わっていくときがくる。彼女たちはそう確信している。
「ジェンダーフリーは、数年前までは、相手党派は言っていなかった。それはこちら側の主張であった。でも今では、相手も自分たちこそはみたいな物言いで言っていたりする。自分たちが言っていたことを5年後には相手も取り入れる。多様な性のあり方や共生の視点を、数年後には、相手党派側も必ずや取り入れるときがくる」
「でも、悔しいよね。取り入れたときは、あたかも自分たちがずっと言ってたかのように主張する」
 ちょっと頭にはくるけど、それでもいいではないか。自分たちの方こそに「先見の明」があったのだから・・・こんなふうな意見も出ていた。どこまでも心やさしい女性たちだ。先端で原則的にたたかっている女性たちは、そうであるからこそ、心はやさしいといえるのだ。出世や世間体に流される人たちこそが、実は冷淡であり人間性に欠けることが多いことも、私は実感として知っている。
 ローザルクセンブルクは、20世紀初頭、当時のドイツ社会民主党内で、ドイツ社会主義運動の急進的な一人だった。「たたかう女」だった。男性と激しく議論する女性だった。でも、彼女の心のやさしさは、いろいろな研究者によって証明されている。
 女性でも男性でも、ちゃんと「たたかえる」人こそが、実は最も「やさしい」人なのだということを、私たちはもっともっと見抜いてよいと思っている。

 

(草淳子 女性部長候補のビラに載った、私の推薦文)

 女らしさを求められることで女性が様々な制限を受けると同時に、男らしさが強いられる社会は、ある男性の一群を排除していきます。「オカマみたいなヤツだ」という言葉が、一定の男性性の枠から外れた人たちに投げかけられ相手を傷つけていきます。そんなふうに見られまいと普段は「普通の男性」を演じ自分を隠し続け、週末にひっそりと「女性の自分」に戻るという年月がずっと続きました。そう、私は性同一性障害を持つ教員なのです。
 ある決められた「らしさ」を求められることに抑圧を感じて過ごしてきた女性の方も多いと思います。一方、性同一性障害の私も「らしさ」が窮屈です。「生殖能力を失っても生きてる女性は罪」との考え方を間接的に容認する発言をした方の姿勢は、生殖に結びつかない性同一性障害や同性愛の人たちを排除することとも容易に結びつきます。子どもを産み育てるだけが女性ではない、健やかに家庭を守る役目が女性なのではない、多様な女性の生き方があってもいいのだという、「自分らしく」生きることを求めていこうとする女性部の運動は、多様な性のあり方を認めてほしいというセクシュアルマイノリティの思いと共鳴しあってこそ、より大きく本物になっていくのだと思っています。
 「フェミニズムは、『私とは誰か』を他の誰にも冒させまいとする強烈な自立への意思と、『あなたとは誰か』をあるがままに受け容れようとする熱い共生への思い」・・・これは東大教授の上野千鶴子さんの言葉です。私の好きなフレーズです。「熱い共生への思い」を語る方が女性部長に選ばれることで、都高教の女性部運動に「多様性と共生」の熱いうねりが生まれていくと思うのです。
 本当は女性部の一教員として生きていきたかった、でも今は男性教員として勤務せざるをえず、悲しいかな、戸籍上は男性のため女性部長の選挙権がない私ですが、「多様性と共生」を熱く語る草さんに共感し、強く推薦いたします。

                                    高校教員  宮崎留美子