No.29 ある都立高校の保健室で
ある都立高校の保健室で
〜セクシュアルマイノリティの生徒をやさしく受け入れてくれる保健の先生〜
←写真の左側の女性が、ある都立高のT先生.このページの写真は、T先生が勤務する高校に、校内研修の一環として呼ばれ、他の先生方にも、トランスジェンダーのことを話に行ったときの写真である(2001年11月17日).いずれも、T先生の職場である高校の保健室で撮影したものだ.
東京、ある都立高校の定時制に勤務する保健の先生(養護教諭)であるT先生は、「人間と性 教育研究協議会(性教協)」に長いこと関わっておられ、学校に、セクシュアルマイノリティの生徒を受け入れていけるように努力されている方だ。
この先生の周りには、自分の性の問題で悩む生徒が集まってくる。そして、そういった生徒たちを、何の偏見ももたずに受け入れてくれるのだ。
自分自身ではどうすることもできない「自分の性」に対して、周りの大人も生徒たちは、必ずしも受容的ではない。MTF(Male to Female、男から女へ)の性同一性障害の生徒(トランスジェンダー)に対して、クラスメートは、「女みてーだな」「おまえはオカマか」などとの言葉を投げかけ傷つけていく。生徒は、何で自分はこうなんだと悩み、手首を切ったりベランダから飛び降りるなどして自殺をはかろうとすることもあるという。自殺までは考えなかったが、私とて、人に話せない悩みをかかえ悶々としていた長い期間があったことを思い出す。
学校の先生に相談しても、理解してくれる教員は少ない。
「男なんだろ、もっと男らしくしろよ」
「君って、変態?」
「君は、そっち系なの?」
みたいな言葉を、平気で言う教員は多い。
まして、ゲイとトランスジェンダーのちがいを理解している教員はごく少ない。
「あなた、ホモなの?」
ホモという言葉は、一般には、ゲイの人に対しての侮蔑語として使われることが多いのだが、そういう言葉を平気で使う教員も少なくない。女性でありたいというトランスジェンダーと、どちらの性に惹かれるのかということとを混同する人が、まだ大半だろうと思われる。
「そうじゃない」
という生徒の叫びは、無理解な教員には全く届かない。
セクシュアルマイノリティの生徒は、周りの生徒のみならず教員からでさえ変態扱いされると、学校に行くのが嫌になり閉じこもり、自分を否定して生きていく以外になくなる。
都立高校で保健の先生をされているT先生は、そういった生徒を、なんの分け隔てもなく受け入れていき、そして、他の先生方にも、セクシュアルマイノリティの問題を熱く語っていっておられる方である。その先生が勤務する学校では、マイノリティの生徒も明るく元気に巣立っていっていると、当該生徒から聞いた。
右の写真の南里ちゃんは、今は、元気に社会人として勤めている。高校時代、自分がトランスジェンダーであることをカミングアウトした。T先生は当然のごとく受け入れてくれ、修学旅行での部屋割りの問題も、本人が苦痛にならないように配慮してくれた。伸びやかに学園生活を送れたとのことを、本人から聞いている。セクシュアルマイノリテイの生徒のことを理解できる教員がいることの大事さの実例がここにあると思った。
写真のヒロちゃんは、そのT先生がいる学校ではない。いろいろと苦難の道を歩んでいるようだ。でも、昔とはちがう。トランスジェンダーの先輩である南里ちゃんもいるし、相談にのってくれるT先生もいる。もちろん、私も、できる範囲で「彼女」の力になりたいと思っている。がんばれヒロちゃん。
実は、そのT先生と私は、今から6年前まで(1995年度まで)、ある高校で、ひとつ屋根の下で勤務していた間がらだった。私は全日制、彼女は定時制の勤務だったので、ほとんど顔をあわすことはなかったが、でも、もちろん、お顔は知っていた。
その当時、カミングアウトしていなかった私は、T先生とは何の関わりも持てなかった。人には公言できない「変態としての私」としてしか自分を位置づけていなかった私は、T先生がセクシュアルマイノリティの問題に関わっていようなどということを知るよしもなかったのだった。全日制と定時制との職場は、ほとんど交流がないことも背景にはある。南里ちゃんとも、ひとつ屋根の下で、お互いに存在していたのだが、私は知ることもなかった。「彼女」も私のことを知るすべはなかった。
ときを経て、時代が大きく動き、セクシュアルマイノリティも一人の人間として、「しっかりとそこにいていいのだ」ということを主張できる雰囲気になってきた。このような「とき」が、T先生や南里ちゃんと私とを結びつけてくれた。
今では、親しく語りあえる同僚、および当事者どうしとして一緒にいる。