No.22 「季刊セクシュアリティ」に掲載されました
性教協(人間と性 教育研究協議会)が企画編集し、エイデル研究所というところから出版されている雑誌に「季刊 セクシュアリティ」というものがあります。この雑誌のNo.2(2001年4月発売)に、依頼されて私が書いた原稿が掲載されました。
私が書いた部分を転載いたします。
実践・高校
ジェンダーフリーとセクシュアルマイノリティ
〜TG教師が自分を授業で語る〜宮崎留美子(高等学校教諭) 土曜のお昼、一週間の終了を告げるベルが校内に静かに響く。さあ、これからが「本来の私」に戻る時間だ。私の職場は、首都圏のある公立高等学校。そこで私は社会科を教えている。週の五日間は一人の男性教員として忙しい毎日を送る。そして土曜日の午後になると、男性モードを女性モードに切り替える。半日だけの女性、宮崎留美子になるために。そう、私は、トランスジェンダー(1)・・・・・・
ここで引用した文章は、私が、昨年秋に著した『私はトランスジェンダー』(ねおらいふ)という本の冒頭「宮崎留美子が生まれるとき」からのものだ。
●九州男児になるべきわが子
私は九州の熊本県で生まれた。
九州といえば、「九州男児」という呼び名もあるぐらいに、昔から男尊女卑の考え方が根強い地域だ。「夫は家庭を支える大黒柱として外で働き、妻は夫が外で心おきなく仕事に励めるように家庭を守っていくのが本分」という風潮は、薄れこそすれ、今でもなくなったというわけではない。
男尊女卑という男性支配の構造は、女性には、もちろん抑圧体系として作用するのだが、男性側に働く作用は案外と見落とされている。当たり前のことかもしれないが、フェミニズムは、支配を受ける女性側の苦痛をもっぱら語ってきた。しかし、一群の男性にとっては、男尊女卑は、けっしてありがたくない、むしろ圧迫さえ感じる構造でもあるのだ。
小さい頃、私は、よくいじめられて泣きながら帰ってきていた。父は、「やり返してこい」と、ぴしゃりと玄関の戸を閉め、私を追い返した。九州男児になるべきわが子が、気が弱い子であってはならなかったのだ。私がもし女の子であったならば、気が弱いという性格は、やさしい子だと、好意的に受けとめてくれたにちがいない。
優越し支配する側の男性は、そうするにふさわしい性格を求められ、そこからはずれるタイプの男性には、「男らしくない」「女の腐ったような(なんという女性蔑視の言葉なのだろう!)」とのレッテルが貼られてしまう。レッテルを貼られる恐怖感から、強くあらねばならないと感情を表すことを抑え、自分の力を過剰にふるうことを身につけていく努力を、意識するしないに関わらず常に強いられているのが、男性という立場でもある。こういった男性コードに乗っていけない人は、自分の個性を「嫌なものだ」として認めたくないし自分を尊重しえなくなる。そして、本人にとって、耐え難い抑圧としてのしかかってくる。
変態と見られたり、奇異な人物として遠ざけられたりする差別や偏見の問題をさておくとすると、私のように、女性になって、「男性性」を捨てることができる立場であることは、ある意味では、「『男らしさ』からの解放」を個人レベルとしてはなしえているともいえるだろう。むしろ、この問題は、メンズリブ(2)に集う男性の人たちの方にこそ、より重くのしかかっていることかもしれない。●自分自身と授業とのつながり
私は、公立の全日制普通科の高等学校で、政治経済を教えている教員である。
政治経済では、基本的人権の単元は、ひとつの大きな分野である。平等権を語るとき、いろいろな切り口でのアプローチがあるかと思うが、私はもっぱら、男女同権の問題にしぼって語ってきた。
憲法24条の「男女の本質的平等」を話すときには、これまでにも、いくつかの事例を語ってはいた。家と家との結びつきを表す、結婚式での「○○家・××家 結婚披露宴」の表記のオカシサがあり私自身のときの表記は個人名にしたこと、男性は外で働き女性は家庭を守るという固定的な観念のオカシサなども、とくに、ジェンダーフリーという言葉を知らず「らしさ」の問題をとくに考えたことがなかったときにも話してはいた。何もまちがっている方向ではなかったのだが、「男女平等」という法的権利としての枠組み概念の中で語っていたようだ。
その当時から、自分の私生活としては、毎週末のようにやっていた「女性へのトランス」は、私が教える人権学習とは何の関わりもなく、単に、「自分は変態だ、でもやめられない」の域を超えてはいなかった。性教育は、保健科目で教えることだ、ぐらいの理解でしかなかった。
ずっと前、本誌編集長の村瀬幸浩さんとは、実は、あるところで触れあっていたのだが、私の政治経済とは関係ない教科を教えている教員というだけの目でしか見ていなかった。編集委員の高橋裕子さんとも、それこそ、本当に袖触れあうところにいたのだが、私とは何の関係もない「保健の先生(養護教諭)」でしかなかった。よもや、この本誌のような場で関わっていくなど、当時は想像だにしなかった。
自分の性のあり方が、セクシュアルマイノリティとして人権問題の渦中にあること、「男らしさ」「女らしさ」というジェンダー問題は、保健科目だけの問題ではなく、私の教科にも大きく関わること、そして、私自身を読み解くのにも関わることを、はっきりと認識しだしたのは、この数年のことでしかない。埼玉医大での性転換手術のガイドラインが話題になりだしたころから、私たちのことについてのマスコミの取りあげ方が、バラエティ番組でのニューハーフとしてではなく、性同一性障害という性のあり方として取りあげられる機会が増えてきた。●当事者だからこそ
このころからだ。自分は「変態」ではなかったとわかり、自分の性のあり方こそは、まさにジェンダー問題と関わっているのだ、人権教育は、部落差別や在日朝鮮人差別のような、私が当事者となっていない問題だけにあるのではなく、私自身にも関わってくる問題だったのだと認識しだしたのは、それからのことであった。
いったん認識しだすと、そこは当時者性があるためか、セクシュアルマイノリティの問題やジェンダーバイアスの問題などは、つぎつぎと、私の心の中にストンと落ちてくるのだった。自分を肯定できず「変態」だと苦しんできた過去があるだけに、こういった性の問題については、他人から得た理論を、ほとんど障壁なく、オリジナルな私なりの理屈として言い換えていくことができるようになった自分を発見する。
人権学習の「平等権」を講義するある場面のこと。ダ・カーポが歌っていた『結婚するって本当ですか』(作詞:久保田広子、作曲:榊原政敏)の1つのフレーズを黒板に書く。
「結婚するって本当ですか。(A)あなたに寄り添う(B)その人は、白いエプロンにあうでしょうか。もうすぐあなたは遠い人。できたら、(A)あなたの胸の中、もどりたい」 AとB、それぞれ、男だと思うか女だと思うかを生徒に問う。まず、100%、Aは男、Bは女、と生徒は答える。白いエプロンをするBは女性であり、胸の中に受けとめてくれるAは男性だというわけだ。歌詞のなかでは、Aが男、Bが女だと明示されているところは全くない。にもかかわらず、私たちは、100%、AとBの性を知ることができるということを示して、ジェンダーバイアスの現実を提示していく。
エプロンをつけて料理するのがどうして女性でなければならず、包容力をもって胸に受けとめてくれるのが、どうして男性でなければならないのか。エプロンをつけて甲斐甲斐しく手料理をつくり、ワッと泣いて相手に受けとめてもらう側が、どうして男性であってはいけないのか、問題提起をしていく。
この授業の流れの中で、「実は、先生もね、男性として求められるあれこれのことが苦痛だったったんだよね」と自分を語り、女性でありたかった自分を話していく。もちろん、現在の自分のありようも隠しはしない。私が「女性」であるときの写真を見せて、トランスジェンダーというセクシュアルマイノリティの存在を話していく。当然ながら、性自認の問題だとか性的指向のことも説明し、同性愛者との性のあり方のちがいも話す。ジェンダーの問題とセクシュアルマイノリティの問題は、切り離してはならない。
セクシュアルマイノリティではない多くの男女であっても、固定的なジェンダー観によって受けるいらだちを持っている生徒は、必ずいるはずだ。少数者の問題は、多数者側にも関わってくることをわかってもらいたい。そんな気持ちを込めながら授業を進めていった。
自分のことは、それまでにも、少しずつ小出しにしていたので、生徒はうすうす私のことを知っていたようだ。だから、その授業で自分のことを語ったからといって、仰天するばかりに驚いたということはない。「先生、がんばってね」「宮崎留美子と私たちとで、今度、遊び行こうよ」「宮崎留美子のホームページ(3)、見たよ、きれいだね」などと、おおむねは、私のことを受け入れてくれたようだが、なかには、ショックを受けたというようなことを、校長宛に投書した生徒もいた。どちらかというと、女子生徒の方が、素直に受け入れてくれている。セクシュアリティに関しては、男子の方が固定観念が強いということなのだろうか。
性のことを体系だって話すのは、この「平等権」の単元のときだけであるのだが、他のいろいろな単元でも、ジェンダーの視点に基づいた切り口を、必ずといっていいほど語っている。例えば、社会契約・啓蒙思想の思想家であるルソーのことを話すとき、以前の私であれば、人民主権論者・直接民主主義を語った人・フランス革命のバックボーンとなった思想家という話で終わっていたし、指導書もそれだけしか書いてない。ところが、ルソーは、彼の著書「エミール」で、女性の特質は男性に尽くすことみたいな内容のことを滔々と書いており、それが、女性のよさであり、女性の自然さであるとも述べている。もちろん、ルソー自身の問題というより、時代の限界性とでもいうべきことなのだが、女性がおかれてきた位置づけとジェンダーバイアスの根深さも同時に語り、女性の視点(この言葉はあんまり好きではないのだが)で見ていくことも心がけている。
パートタイムのトランスジェンダーとして、男性モードであるときの平日と、本来の自分を取り戻すときの女性モードとしての週末。女性と男性との両方の視点を経験することで、ジェンダーセンシティブにものごとを見ることができるようになっているのであれば、私のような者が、教員をやっていることで、何らかの意味があるのかもしれないと、勝手に自己肯定している今の私だ。(1)自分の肉体的な性別と逆の性で生きたいと願う人たちのこと。
(2)男の生き難さをめぐる問題や社会状況を問い、現在の男のあり方を考えてみようという人のネットワーク(宮崎留美子『私はトランスジェンダー《150頁》』2000年、ねおらいふ)
(3)宮崎留美子のホームページURLは、http://www4.justnet.ne.jp/~r.miyazaki/