No.17 月刊テーミスに掲載された私のこと
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私のことに関する記事が掲載されました |
月刊テーミスという、年決め契約で、主として企業やビジネスマン向けに発行されている雑誌があります。発行人は、以前、ビートたけし事件のときのフライデーの編集者である伊藤寿男氏です。
硬派の雑誌で、例えば、私のことが掲載されている1月号をひもとくと、「石原慎太郎or亀井静香総理を待望する(中曽根康弘)」「朝日新聞の大リストラが波紋を広げる」「田中康夫『しなやか県政』が異常な発足」などとタイトルされた記事が並んでいます。
これらの記事のひとつとして、「『トランスジェンダー』達の逞しい生き方」と題して、私のことが紹介されたということなのです。だから、もちろん、内容は、まじめに考えていくという視点から書かれています。
記事の文章は、雑誌記者が、私とじっくりとお話しするなかで、私の考え方や視点を理解してくださり、記事にまとめています。「性的な多様性を認められる社会にならなければ、無意味なんです」というあたりは、短い文章での記事ですから、言葉足らずの点は否めませんが、私の言いたいことをつかんで書いておられます。
私自身によるエッセイではありませんが、私のことに関連しての小論・エッセイという意味から収録することにいたしました。ぜひ、ご一読下さい。
「オカマ」と一括りにすることなかれ
「トランスジェンダー」達の逞しい生き方性転換手術を受けて戸籍を変える「法整備」だけでは
「性的少数者」に真の救いはない●政治家も「勉強会」を始めたが
東京・自民党本部で2000年10月11日、南野知恵子参議院議員(自民党)を中心とした『性同一性障害勉強会』の発足が発表された。「性同一性障害』とは「生物学的には完全に正常な男であり女であるが、自分は別の性に属すと確信する症候群」のことである。
(左の写真は、テーミス2001年1月号表紙)性同一性障害の研究が進んでいる米国では、男性で3万人に1人、女性で10万人に1人が、その障害のために治療を求めている。日本での患者数は2干〜7千人といわれている。幅があるのは明確な定義が難しい上に、潜在的な患者が多いと椎測されるためだ。
埼玉医科大学は98年11月、性同一性性障害の患者を対象に、初めて女性から男性への性転換手術を実施。その後も性転換手術を行い、99年12月には国内4例目が報告されている。
性同性障害と性転換手術を巡っては、主に二つの法的間題がある。第一に性転換手術をする医師の刑事責任に関するもの、第二には手術後の戸籍上の性別記載を変更する間題である。
かつて、ある男性に睾丸摘出手術を施した産婦人科医が、その当時の優生保護法(現在の母体保護法)28条に違反したとして有罪判決を受けた(東京地裁=69年2月25日判決、東京高裁=70年11月11日判決)ことがある。
また、この手術を受けた人は手術後に戸籍上の性別記載を変更する問題にも直面した。この人は、戸籍の続柄欄の記載を「次男から長女へ」訂正することを求めた。しかし、裁判所は染色体の型が男性であるとして、申し立てを却下(名古屋家裁=79年9月27日、名古屋高裁=79年11月8日決定)した。
現在、埼玉医大の医師が刑車責任を問われることはない。マスコミも、性転換手術を受けた人の「カミングアウト」(公表・告日)を前向きに取り上げ始めた。かつては肉体的に男性でありながら、女性として生きてゆきたいと願う人を、「オカマ」「ニユーハーブ」などと一緒にして”変態扱い”していたことを考えれば、この進歩は大きい。
だが、性転換手術と法整備さえすれば性同一性障害の問題があらかた解決するかというと、そうではない。性同一性障害には明確な定義はない。そのために微妙な立場にあるのが「トランスジェンダー」といわれる人々だ。●男から求婚された「男性教師」
トランスジェンダー(ジェンダーは「社会的、文化的に形成される性別」〔広辞苑〕、以下TG)とは、性同一性障害と同様に自分の生物学的な性に違和感を抱く人たちである。特徴的なのは、自分の肉体的な性を変えようとまでは望まないが、社会的、あるいは日常生活では性別を転換した一個の人間として生きてゆきたいと考えていることだ。TGのなかでも、終日を別の性で過ごす人を「フルタイム」、諸般の事情で限られた時間だけを別の性で生活する人を「パートタイム」という。
本誌2000年3月号「新人類『ニューハーフ』の華麗なる生活」に登場した宮崎留美子氏は、パートタイムのTGである。宮崎氏は、週の5日間はある地方の公立高校で社会科を教える一男性教師だ。土曜の牛後から半日だけ、自分が望むところの「本来の姿」である女性になる。
(左の写真は、この記事の掲載ページ)宮崎氏は、こう語る。
「性同一性障害が、性転換したい人たちだけを指すのなら、私は違います。もっと広く、男性なのに女性になりたい、女性なのに男性になりたいと考える人を指すのなら、私も性同一性障害です。たしかに、男なのに優しい顔立ちで華奢だったりすれば、手術を受けて戸籍を変えたら、性転換したとは誰も気づかないでしょう。でも性転換をせずに、ゴツイ顔と体で、スカートを穿いてお化粧している人に石を投げるような社会であれば、手術して戸籍を変えた人もきっと救われない。性転換がパレた途端に差別の対象になりますよ。法整備をしても、性的な多様性を認められる社会にならなければ、無意味なんです」宮崎氏が生まれたのは九州のある県(年齢不詳)。生来の男性の肉体に、はっきりと違和感を感じ始めたのは中学生の頃で、初恋の対象も男の子※だった。※初恋が男の子だったというのは記者の聞き取り違い、女性に対しての淡い気持ちはあったのだが、それよりも自分が、ああいうふうな女の子になれたらなあという気持ちと一体化したものだったようだ(赤字部分は、宮崎留美子が記す)
その後、予備校に通うために上京し、本格的に「パートタイムの女性」になる。痴漢やナンパなど”世間並み”の女性の経験を重ね、何と男性からのプロポーズを「私は半陰陽(卵巣と精巣を併せ持つ外性器異常)なの」といって袖にしたこともある。
宮崎氏の著書『私はトランスジェンダー』(ねおらいふ刊)には、宮崎氏の他に4人のTGが登場する。皆、性転換手術(睾丸摘出やホルモン療法など部分的治療は除く)は受けておらず、また法整備とも関係なく生きている。
そのなかの1人、堀尾友機氏は女性から男性へのフルタイムのTGである。
堀尾氏は20歳代で、生理の苦痛から解放されるために、99年秋から男性ホルモンを投与するホルモン療法を受けている。高校卒業後は、父親が経営するキャパクラ(クラブより安価で女性が接客する飲食店)で働いたこともある。ホステスではなく「男性従業員」として勤務していた。
幼稚園の頃、自分にペニスがないことに気づき、小学校3年生までは「(そのうち)生えてくるもの」と思っていた。堀尾氏には現在、彼女がいる。レズビアンではなく、堀尾氏と知り合う前には普通の男性と交際していた。堀尾氏は「レズビアンの子というのは、俺を女だと思って好きになるわけでしょ。それは嫌なんだ」といい、「彼女がからまれたときは、絶対俺が守ってあげる」と、男らしい発言をしている。●米国では「憎悪犯罪」も深刻に
性同一性障害やTG、そして同性愛者などを総称して「セクシャルマイノリティ」(性的少数者)という。さる11月19日、東洋大学で「性を疑え!セクシャルマイノリティに学ぶ多様な性のかたち」というシンポジウムが開かれた。講師には、89年に米国で女性から男性への性転換手術を受けた虎井まさ衛氏、93年に男性の同性愛者であることをカミングアウトした伊藤悟さん、そして宮崎氏の3人が招かれた。
そこで虎井氏は、法整備が進んでいるはずの米国で、セクシャルマイノリティを狙った、殺人などの「へイトクフイム」(憎悪犯罪)が深刻化していると報告した。また、男性から女性へのTGが交通事故で病院に運ばれたとき、治療のために着衣を剥いだらペニスがあったため、医師が10分以上も笑い転げているうちに、命を落としたという米国の深刻な事例も紹介した。
宮崎さんは高校の生徒に、TGであることをカミングアウトし、セクシャルマイノリティに関する性教育も積極的に行っている。宮崎氏が語る。
「最近の高校生を、自己中心的だと悪し様に書きたてる記事は多い。でも私が勤務する学校の高校生は、私のことがわかっても、決して私を排除しようとはしない。すばらしい生徒です」
法整備が進んでも、偏見が残るのでは意昧がない。セクシャルマイノリティに苦痛を強いる社会は、そうでない人にも息苦しい社会であるはずだ。※月刊テーミスの記事で紹介されている宮崎留美子の本「私はトランスジェンダー」の詳細は、右のバナーをリックしてください →