No.5 仏、同性愛カップルの結婚を公認
フランスで、同性愛者カップルの結婚を認める法案が可決されたとの新聞記事があった(1999年10月23日付けの朝日新聞)。
同性愛カップルにとどまらず、同棲のカップルにも適用されるとのこと。もちろん、トランスジェンダーの人とのカップルにも適用されるだろう。
同様の法律案が出されたら、日本でもおそらく、保守系の議員を中心に「家族制度を破壊する」との反対の声が上がるだろうことは容易に想像がつく。フランスでも同様のことであったらしい。相も変わらずといったところか。
「家族制度を破壊する」と批判する人たちは、家族とは、男性と女性がいて、そして子どもがいて、不倫のような「不道徳」な行いはせずに、国家の発展を支えていく単位としてプラスになること、というような発想があるのだろう。
男と男(トランスも含めて)、女と女、保守派議員らの間尺に合わない価値観は「あってはならないこと」と写ってしまうのかもしれない。個人の幸福追求より、社会の一体性とかいうものに優先の価値を見いだしているのだろう。
彼らとは、やはり、世界観の根本において大きな隔たりを感じずにはいられない。彼らの世界観が社会の「常識」になるのか、私たちの世界観で「常識」をつくっていくのか、言論や思想分野でのたたかいは続いていくだろう。
ここでもうひとつ忘れてはならないことがある。同性同士で「結婚」するという選択を認めるのは大いに賛成なのだが、同時に、「結婚しない」という別の選択を行う人たちが、パートナーをもっている人たちに比べて、決して不利にならないような社会のシステムをつくっていくことを忘れてはならない。
同性愛者の「結婚」の公認はもちろん前進だと評価したいけれども、今度は、パートナーがあることが当たり前でそれからはずれる選択はよくないことなのだという「常識」が広がるとしたら、これは少しも前進にはならないと思う。
個人の幸福追求にこそ最大の価値があり、自立した個人を前提にして考えていく社会、選択の多様性を認めあえる社会、結局は、このことを追求していくことなのだという視点を置き去りにしないようにしなければならないと思うのだ。
したがって、性の問題にとどまらず、個人の価値をないがしろにするありよう、個人の幸福追求よりも国家の「発展」を追求していくことを優先する考え方や政治のしくみには、しっかりと反対していくことも同時並行的な課題であろう。以下に、上記の朝日新聞の該当記事を転載しておきます。
同性愛カップル「結婚」できます
仏議会(下院)はこのほど、契約を結んだ同性愛カップルにも杜会的地位を認め、相続や税金・社会保険の支払い、住宅の賃貸契約などで結婚に準じた権利を与えることを盛り込んだ「連帯の市民協約」(PACS)法案を賛成多数で可決した。欧州では10年前にデンマークで同様の様権利が認められて以来、ノルウェー(93年)、スウェーデン(94年)、オランダ(98年)などにも広がったが、カトリックの伝統が強い国では仏が初めて。
「家族制破壊」と反対も
カトリックやユダヤ教をはじめとする宗教界や右派の議員は「家族制度を破壊する」と法案に反対し、違憲の疑いがあるとして、憲法評議会に審査を申し立てた。
この法案は社会党など左派系の議員が去年、提案。同性愛者を主眼にしているが、同せいのカッブルにも適用される。裁判所で、「カップル関係にある」と署名すると、2人とも民法上は独身者扱いからい結婚に準じた扱いを受ける。そして@相続・贈与税の控除が認められるA三年経過後には税の共同申告もできるB共働き公務員の場合は、一方が遠隔地に転勤させられる不都合が少なくなる−−など、生活上の不安や不便が軽滅される。ただし、二人の関係に限定され、養子は認められない。
仏国内には結婚しないで同居しているカッブルは同性、異性合わせて約500万人いるといわれる。採決に先立ちジョスパン首相は、社会の変化に対応するためにこの法案は必要だと支持を訴えた。