No.4 上野千鶴子さんの講演を聞いて
私のホームページの訪問者で、上野千鶴子さんを知っていらっしゃる方は少ないかもしれません。上野さんの研究分野(フェミニズム、女性学)の方に詳しい方でしたら、「すごい大物の講演じゃないか」と思うのかもしれませんが、知らない人にとっては、単なる「オバサン(失礼!)」になるのかもしれません。
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一応の紹介です。フェミニズム研究の第一人者。女性解放の理論家。関西の短大などで教員を勤めた後、現在は、東京大学教授。著書・編集など多数。宮崎留美子がもっている本の一部でいうと「発情装置(筑摩書房)」「日本のフェミニズム 7巻プラス別巻(岩波書店)」などがある。NHKラジオ高校講座「倫理」の講師などもなさっていらっしゃった。
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私自身も、上野さんの著書から多くのことを学びました。その鋭い視点は、読む者にとってハッとさせられ、「目から鱗が落ちる」とはこのことかと思うようなことも多々ありました。
上野千鶴子さんは、私が表の仕事で関わりをもつ研究会の講師として来ていました。だから、残念ながら、このときには男モードの私でした。講演内容は、現時点でのさまざまな調査結果を交えてフェミニズムの考え方を平易に解説するというものでした。講演慣れしているのだと思いますが、とてもわかりやすく話されていて、概括して理解するのにはもってこいの内容でした。フェミニズムに対しての誤解は、まだまだたくさんあると思います。
私のホームページを訪問され、「宮崎留美子、ホントに男なのか、いい女じゃないか(自分でいうのもしょってますね(^^;)」と思われて、私を性の対象として見てくださっている男性の方(ひょっとしたら女性の方も)、私としてはもちろんウレシイことですが、でも、宮崎留美子がフェミニズムに共感していると言ったら、ちょっとたじろいでしまう方もいるかもしれません。フェミニズムなんて「男勝りの女」がやることではないか、そんなしゃしゃり出る女はキライだ。うーーん、女性って、やさしくてしとやかで従順な方がかわいいと思う男性諸子も多いですからね。
私も、そういう「女性像」を模倣して男性にかわいがられることをめざす気持ちがないといったら嘘になります。こういう気持って、私自らが、否定しようとしている「性別二分制」の考え方にとらわれているからではないのか、もちろん葛藤があります。
「しとやかにして男性にかわいがられる」...こんな気持ちって唾棄すべきことで、いやしくもフェミニズムに共感しているとしたら恥ずかしいことではないのか、それよりも何よりも、私が超ミニのミニスカートをはくこと自体が、男性に媚びて男性の視線を引きつけようとしているからではないのか。当然の葛藤です。
女性として生まれ、女性であることが当たり前である人でフェミニズムに共感している人が、あまり持ち得ない感覚かもしれません。「女になりたい」ということで、女性のジェンダー記号をより以上に身につけようとする気持ち、私たちにありがちなことなんです。フェミニズムを勉強している学生の方などは、ここらあたりの私たちの心理も学んでほしいと思っています。
「しとやかにして男性にかわいがられたい」「ミニスカートで男性の目を引きたい」...私は、こういう気持ちをもつことを否定することはしません。フェミニズムに共感しているからといって、こんな気持ちをもつことを恥ずかしいことだとも思いませんし、そういう発想はとりません。
フェミニズムの学者先生には怒られてしまうかもしれませんが、私は次のように思っています。「男社会、女性に抑圧のある社会」をつくりかえるべきだとは強く思いますが、「男に媚びるような気持」があることが恥ずかしいとか、そういうことはとても表に出せないとか、別の私の部分を隠しての生き方はしたくないと思います。また、別の私の部分を殺していくこともしたくないと思っています。
ミニスカートはいて、イヤリングつけて、バッチリお化粧して、甘い香りのオーデコロンをつけて、でも、性別二元の秩序はおかしい、性別二元秩序を助長するような学校の「隠れたカリキュラム」は変えていくべき、性別役割が決まっているのっておかしいよ、※男女混合名簿ってあたりまえじゃない、と言っていきたいし、また、メンズ・リブの運動の方とも大いに共感をもちたいとも考えています。※今から5,6年前、男女混合名簿に変えることが提案されたとき、男性での賛成者数は少ないものでした.私はその推進側の急先鋒でしたが、でも、一方で、勤務がオフの日にはミニスカートで街を闊歩したりしていたものです。
こういう気持ちって、いったい何なのか。上野千鶴子さんが言う次の考え方が、私の心に、実にすっきりとストンと落ちてくるのです。
これです。これ。このことがフェミニズムの神髄であるならば、多くの男性・女性も十分に納得できることではないでしょうか。「男勝りの女」というのが、フェミニズムの主張者の女性イメージだなどということがいかに偏見であるか、この言葉を聞けばわかるのではないでしょうか。他者のあるがままを認め、自分のあるがままを他者から強制されたくはない、実に実にやさしい人間愛に満ちた考え方なのだと思います。
「フェミニズムは、『私とは誰か』を他の誰にも冒させまいとする強烈な自立への意思と、『あなたとは誰か』をあるがままに受け容れようとする熱い共生への思い」
留美子は留美子、男性として高校の教員をやっているくせにミニスカートはいている、お化粧している、でも、「私とは誰か」を他の誰からも強制されたくはない、変態扱いされて排除されるのはまっぴらごめんだ...フェミニズムの思想は、私たちトランスジェンダーの生き方をも擁護してくれる大事な考え方なのです。
ほらほら、これを読んでいるそこの男性の方。私たちのようなトランスジェンダー(女装者)を好きな男性って、世間一般の「常識」からみると変態なんですよ。でも好きなんでしょ、女装者を。私に性的魅力を感じてくれる男性の方、私もそういう男性は大好きです。でも少しも変態と思って肩身を狭くすることはないんです。あなたはアナタ、その生き方を誰しもが強制することはできないし、あなたのあり方をありのままに受け容れていくことがフェミニズムの思想であるということ。決して「男勝りの女」がやることだとか、しゃしゃり出てくる女がやっていて、男をやっつけてしまう主張みたいなことではないということがわかってもらえるかと思います。そこで、今度はちょっと想像をふくらまして見てほしいのです。
私たちの社会には、これこれの生き方をしたいと思っても、「女なんだから」「男だから」と、自分が生きたい生き方を拒まれていることが決してなくなってはいないのです。とくに女性の側に拒まれていることが多くありました。もちろん隠れて表には出にくかったのですが、男性の側にも拒まれていることはあったのです。
ほんの数年前までは、電気や機械のことを勉強したいと思っても、「女なんだから、貴女は家庭科」という時代がずっと続いてきたのです。このホームページの訪問者の大多数は、中学時代、男は技術科、女は家庭科の時代を過ごしてきたと思います。高校では、体育をもっとしたいのに女だけ家庭科、体育は嫌いだ家庭科をやりたいと思っても男は体育。こういうことが「生き方」を性別で強制しているということになるのです。「らしさ」を強制してほしくない。男は「男らしく」女は「女らしく」が求められる社会のありようには反対です。ありようをつくりかえていく必要があると思います。
「らしさ」は自分が決めること。他者の誰からも強制されたくない。だから、ジェンダーフリーは「性役割からの自由」ということで、自分のありようは自分で決めるということだと思っています。
さらにまた、「らしさ」は自分が決めるがゆえに、どういう立場の人からでも、ミニスカート・お化粧バッチリ・甘い香りのオーデコロンの宮崎留美子を「ナンセンス」だと否定されたくはないとも思うのです。「女」をふりまくなんてケシカランというという議論には組みしません。ミニスカートでお化粧バッチリしてフェロモンを振りまきながら爽やかにフェミニズムを語ろうよ...これが留美子の姿勢です。
変かな? でも、この私の姿勢を批判する方がいらっしゃったら、徹底して論戦しちゃうぞ。だって、お化粧したいんだもの、ミニスカートはきたいんだもの。他人に迷惑をかけない範囲での個人としての欲望が抑圧されるなんて、そういう主義主張は何であっても認めません...これも私の姿勢のひとつなんです。実は、講演会の帰りに、偶然、上野千鶴子さんと電車の車両が同じになりました。名刺交換もして(男モードの名刺と宮崎留美子の名刺・・・だから上野さんは私の両方のモードを知っている数少ない人になります)、いろいろとお話しをうかがうこともできました。
上野さんに対しては、舌鋒鋭い論客、緻密な理論家というイメージで、ちょっと怖い感じさえもっていました。話してみると、やさしい、よく人の話を聞いてくれる・・・ここで固定観念での用語をあえて使わせていただければ、実に「女らしい」方なのでした。男と同じになろうとするのがフェミニズムではない、うーーん、そのことが上野さんの醸し出す雰囲気から自然と感じとれる、そういうふうに思いました。
フェミニズムを主張している女性とつきあうと、なんだか自分がやっつけられそうで怖い。そんな気持ちが頭の片隅にでもある男性の方に、留美子から一言。
女性を支配しようと考えるのであれば話は別ですが、そういう女性って、いろんな違った立場の人を「あるがままに」認めてくれる人なのですから、実は「心やさしい思いやりにあふれた」女性ということになるのだと思いますよ。