昔の留美子シリーズ(1)
1970年代末のエリザベス会館

←左の写真は、瀬良さんというエリザベス会館のフロア担当の方から、宮崎留美子に届いた手紙の一部
 ひと昔ぐらい前までのトランス系の人であれば、トランスセクシュアルであろうとトランスヴェスタイトであろうと、エリザベス会館という女装をさせてくれるサロンのお世話になったことがあるかと思われます。
 今回は、ずーっと遡って、1970年代末(79年頃だったと思われる)、現在では有名な女装愛好誌「くいーん」が発刊される前、その準備をしていたころの話です。

←左の写真は、フロア担当の瀬良さんから来た葉書
 「くいーん」という誌名はまだ決まっておらず、とにかく、女装者を主体にした交際誌をめざしていた様子がうかがわれます。
 体験記、写真、小説、現在の「くいーん」誌の原型のアイデアがすでにあったことをうかがわせています。
 私はほとんど忘れかけていたのですが、先日、年末の掃除の折り、たまたま一連の手紙を発掘し、記録として残しておきたいと考えて、このページを作成しています。
 エリザベス会館の瀬良さんから来た葉書を見るかぎりでは、私自身も、「くいーん」の創刊号に向けて体験談を送っているみたいですね。
 そのあと、もっと長文の原稿を依頼されていたことがわかります。400字詰で30〜40枚ですから、けっこうな量になります。本を出版し多量の原稿を書く経験を積んだ現在であれば、たぶん、簡単に引き受けていると思いますが、まだ20歳前の私にとっては、この量は書ききれないもののようだったと記憶しています。実際には、「くいーん」誌に掲載されていませんので、たぶん、依頼された原稿は書いておらず、送っていなかったと記憶しています。

 今になって思えば、このときに、何とか頑張って、原稿用紙30〜40枚を書いておれば、創刊号ないしは第2号に掲載され、とても貴重な記念になっていたとおもわれます。しかしそのころ、まさか、「くいーん」誌がこれほど発展するなどとは思っていませんでした。
 上の葉書の文中、「まじめそうなコックさんをだまして・・」というのは、私は本当の女性のところで、その方と会っていたという意味での「だます」ということです。金銭的にだましたとかなどのことではありません。

右の写真は当時(79年頃か)のエリザベス会館の人たち →
 79年ごろは、私は、大学生として札幌にいました。実家の九州に帰るついでに、東京で寄り道をしてエリザベス会館に行っていました。
 右の写真で、私が着ている白いドレスは、当時、札幌のゲイバーでアルバイトしていたときに、よく着ていたドレスです。
 原版の写真は、20年以上も前の写真であり、しかも、当時の質がよくないポラロイド写真ですから、画像は暗いし、ピントも決まっていません。

 どうでしょうか。20年以上前の私と今の私。写真はボケているためはっきりしないかもしれませんが、現在と、あまり歳の差を感じないのではないでしょうか。お肌の手入れの長年の努力だと思ってください。それに、今は、もっぱらミニスカートの私ですが、当時は、ミニははいていなかったようです。ミニをはいている女性はいなかった時代ですから。
 ゲイバーでアルバイトしていたためか、化粧はある程度うまくなっていましたが、チークを入れた後にフェイスカラーでぼかすテクニックだとか、フェイスケアなどは、まだほとんどやっていいませんでした。
 それにしても、私と一緒に写っているこのような方たちがいたんですね。今は、どこで何をしていらっしゃるのか...
 もし、私のこのページを見られて、「あっ、これは私だ」と思われた方はメールしてくださいね。20年ぶりに再会したいものです。
 結局、室内だけでしか女装できないエリザベス会館は、すでに平気で外を歩いていた私にとっては、あまり面白いところではなく、このあと足が遠のき、結果として、20年以上もエリザベス会館には行っていません。
 会館は、当時は、地下鉄・岩本町で降りた神田須田町にありました。亀戸に移転したのは、もっとずっと後の話です。