2006春 韓国の現実を見る旅

朝鮮半島38度線 韓国・非武装地帯(DMZ)をゆく
※このページで流れているBGMは「イムジン河」という曲です.フォークソング世代では歌われた方もいるのでは
2006年10月9日.北朝鮮は国連決議も含めた国際社会からの警告を無視して核実験を行いました.このことには、友好国であった中国からですら厳しい非難声明がだされました.国際社会から孤立し理解不能な行為にはまりこんでいく今の北朝鮮は、実は60数年前の私たちの国・日本の姿だったのだと思います.国際連盟からも脱退し、中国東北部に満州国という傀儡政権をでっちあげて中国侵略をもくろんだ日本に、国際社会は強く非難の警告を発しました.にもかかわらず、日本は戦争への道をすすんでいったのです.今の北朝鮮はまさにそれとそっくり.結果として一番悲惨を被るのは北朝鮮の国民です.・・・・私たちが北朝鮮の核実験を非難すると同時に、今の私たちの日本が、また再び同じ道を繰り返さないようにすることに本道があると思います.一度捨てた軍備なのに、集団的自衛権までをも認めようとする方向にすすみつつある現在、隣国の愚かさをみて、私たちは反面教師にしていく必要があるのではないでしょうか.
                                          (2006.10.9 この部分を加筆)



非武装地帯(DMZ)の資料館の前、モニュメントを背景に.割れた地球をひとつにしようと力を合わせているモニュメントがあった.

 春は休暇があまりとれず、5日間という日程ということもあって、近場の韓国を訪れる計画をたてた。近場とはいえ、この国から学べることはたくさんある。
 20世紀初期、この国を侵略した日本の帝国主義時代(日帝時代)の様子を垣間見ることや、分断された南北朝鮮の実際をみてみたりと、知りたいことはたくさんあった。
 今回の紀行記は、韓国・非武装地帯(DMZ)を見てみようということで、実際に、私がそこを訪れたことの報告である。
 当初は、軍事境界の接点である板門店行きを計画していた。板門店には、在日韓国人も含めて、韓国人は行くことができない。外国人旅行者だけの特権ともいえる訪問なのだが、それだけにチェックは厳しく、個人で行くことはできない。必ずツアーに申し込んで行くことになっている。

 板門店ツアーを催行している旅行社はいくつかあって、私が申し込みに行った「板門店トラベル」もそのひとつ。ソウル中心部に位置するロッテホテルのなかに事務所がある。ソウルに着いた翌日、さっそく申し込みに行ったのだが・・・・
 戸籍上の性別が男性であることは、旅行社にとっては何の問題もなかったのだが、パスポートの写真と女性の姿である私の現実との乖離が難点だった。旅行社レベルではなんの問題もないのだが、観光客を迎える軍事施設としては最高度の警備ということもあって(韓国人はそこに行くこともできない)、警備の軍の方に問いあわせることになった。電話に出た担当官の判断ではままならず、5,6時間後に許可がでるかどうか、旅行社のほうまで問いあわせてほしいとのことだったので、ペンディングして、いったんは事務所を離れた。
 夕刻の5時ごろ、旅行社に問いあわせると、パスポートとの乖離があって許可が下りなかったとのことであった。残念だがしかたがない。そこで、いろいろと考えたのは、38度線を訪れるもうひとつの方法であるDMZ(非武装地帯)へのツアーである。ここは、板門店よりは制限がゆるく、韓国人でも行くことができる。また、ソウルから旅行社を介して行かなければならないということもない。しかし、パスポートは必携で、軍によるチェックはある。
 ソウル駅から、京義線の列車で都羅山駅まで行き、そこからバスツアーによってDMZ(非武装地帯)をまわることになるのだが、手順が少々ややこしい。ソウル発、8:50か10:50の列車に乗って(上の写真の左側、車内は右側、列車はディーゼルカー、コリアレールパスを利用するためとくに運賃はかからない)、都羅山駅のひとつ前の臨津江(イムジンガン)駅で下車し、そこで、パスポートを提示して「都羅展望台&(北朝鮮による)南進トンネル見学」のツアーを申し込むことになる。料金は1万1200ウォンだったので、約1300円くらいであり、ツアー代金は韓国は安いといってもよい。パスポート提示では、とくに問いただされることもなくチケットを購入できた。

 それほど緊張感が走っているわけではないが、写真のように軍の警備兵によるパスポートチェックがある。
 やや、胸をドキドキさせながらパスポートを見せると、私の顔をのぞき込むようにして動作が止まってしまった。
「I am a Japanese Transgender」
と言っても、すぐには納得せず、たぶん、上司なのか、女性の検問官に相談しだした。女性の検問官は、私のパスポートを手にとり、少しばかり私を見て、「OK」のサインを出してくれた。・・・・よかった、検問を通過できた。もし、ここで引っかかり通過できなければ、そのままソウルへ戻らなければならなくなる。これまでのことが徒労に終わってしまうことになるわけで、私としては、今回の旅行ではもっとも緊張した一瞬だった。
 1時間10分後、つぎに来る列車に乗って、臨津江駅から、(現時点では)終点である都羅山駅まで向かうことになる。乗車時間はわずか4分ほどなのだが、ここが朝鮮半島の緊張する地帯なのだ。臨津江駅は民統線(民間人統制線)の外にあり、都羅山駅は民統線内にあるため、4分たりといえども、簡単には行き来できないということのようだ。 

 

都羅山駅の表示板.京義線は将来、平壌まで延伸を期待されている

現在、平壌(ビョンヤン)に列車が行けるわけはない.したがって、「平壌方面」というこの表示は、これから、北と南が仲良くやっていこうという期待を込めての表示だと思われる.

 北朝鮮は不可解な国であるし、世界の常識やルールからも孤立している国でもある。韓国は、今や、世界の多くの国々と行き来し、経済交流も行い、オープンな国として国際社会の一員となっている。現に、日本から韓国への旅行にはビザは必要ない。パスポートがあれば簡単に行ける。パスポートの写真と、現実の私の姿がちがっていても、入国にあたって、それをとりたてて問題にはしない。板門店ツアーはだめだったが、しっかりと検問態勢をしいているDMZには、ちょっとしたとまどいがあったものの、現に、私はそこに入り写真も普通に写してきた。
 韓国と北朝鮮とは、政治や経済、社会体制は、大きく異なっている。それでも、2つの国は、同じ民族が住んでいる国なのだ。同じ言語の文化をもち、食習慣なども共通するところが多い。一刻も早く、ソウルからピョンヤンに直通列車が通るようになってもらいたいと願う。
 今は、韓国の隅っこにある辺鄙な駅にしかすぎないのだが、駅舎はすごくきれいでかなり大きい。しかし、写真の通り、人通りはほとんどない。駅構内はガラーーンとしている。しかし、ピョンヤンまで直通した暁には、国境の経済交流の駅となって、多くの人が行き交いするようになるのかもしれない。それを見越してつくった駅なのではないだろうか。 

Dorasan station is not the last station from the South,but the first station toword the North.

 これは、都羅山駅構内に設置されている電光掲示板に表示されていた文章だ。
「都羅山駅は、南(韓国)からの最後の駅ではない.しかし、北(北朝鮮)への最初の駅である」
 拉致問題などがあって、日本人が北朝鮮に対して悪感情を持つ気持ちにはやむをえないところもある。また、拉致された家族の当事者の気持ちは、掻きむしらんばかりに歯がゆいことだろうと思う。しかし、韓国人が抱く「北」への感情の底には、同じ民族、同胞という気持ちがあることも知らなければならないだろう。
 悪いのは、北に住む人々ではない。住む人々すらも苦しめている北の政権にあることはもちろんだ。

 都羅山駅を降りると、外には、都羅展望台行きのバスが待っていた。許可証を首に下げて指定されたバスの座席に着席する。私の隣に座った高齢の方は韓国の男性だった。日本語をしっかりとしゃべられる。小学生時代(国民学校)、日本語を強制された世代なのだ。「皇民化教育」という日本の侵略政策があったということを頭の中では知ってはいたが、こうやって、高齢の韓国の方が日本語を流暢にしゃべる様子をみると、「侵略」の現実を垣間見ることができたのだった。
(左上写真)都羅展望台からながめることができる北朝鮮。写真を撮るラインがあり、そこからしか撮れない。双眼鏡の場所から撮ることはできない。私はうっかりして、カメラを構えながらラインを越えたところ、監視の軍人から注意をうけた。高倍率の双眼鏡で、手にとるように北朝鮮の人々の様子をみることができる。ちなみに、かなり大きい北朝鮮国旗が鉄塔の上にひるがえっていた。
(右上写真)都羅展望台の入口。個人で来ることはできないので、駐車場には車は少なかった。
(左写真)イムジン河。60年代の終わりごろ、イムジン河というフォークソングがあった。その当時、イムジン河がどこにあるかも知らなかった。歌のイメージからすると、澄んだきれいな川を連想していたのだが、実際は、雪解け水もあるためか、きれいに澄んだ川などではなかった。この地点では、イムジン河は韓国領内だが、別の場所では、この川が戦争の休戦ラインになっているところもある。