私たちのような人の場合、カミングアウト(自分のことを回りの人に打ち明けること)するというのは、けっこう勇気がいるものです。
今日、同僚の先生と、インターネットの話をしているなかで、「私もホームページをつくっているんだ」ということを言ってしまって、「それじゃURLを教えて」ということで、その先生を信頼して、「実は・・・」と自分のことを打ち明けちゃいました。ちゃんと、私たちのことを理解しようとして下さるのか、それとも「気持ち悪い」と揶揄の対象になってしまうのか...やはりちょっと不安です。
まだまだ、ニューハーフとか「女性の恰好をしている人」というのは、夜のお仕事などの特別な人たちと思っている方も多いのです。ホントは、ずっと「女性」として生活できたらいいなと思っても現実的になかなか難しい場合、普通は「男モード」で働き、心の安定と自分らしさを得るために、一時的に「女性」となるということで、自分自身のバランスをとっているという人たちの存在は、なかなか理解されていません。
最近は、埼玉医大の「性別再判定手術(俗に言う性転換手術)」のことがマスコミでも大きくとりあげられ、社会の風潮として、私たちを見る目というのはだんだんと変化してきてはいます。しかし、カミングアウトを堂々と行うというまでには、まだまだの感がしています。
自分が担当している授業のなかでも、「ひとりひとりを大事にすることの大切さ」「自分らしく生きること」「他人を尊重し認めあっていくこと」などを話していっています。回りにとけ込めない性格の生徒、オタクと思われている生徒...こういった生徒は、やはり「いじめ」の対象となる条件をもっていることになります。以前であれば、いじめられる本人にも問題があるのだという言い方もされていました。
こういう言い方って、結局は、マイナーな性格の人間はその人にも問題があるのだということになってしまいかねません。マイナーな性格の生徒であっても、それはその人の個性であり、お互いに尊重されることが大事だという認識が必要だと思います。
私たちに対してでも同じことだと考えています。「男ならば男らしくするのが当たり前」ということが肩の荷になっている人も少なからずいるのです。「男らしい」「女らしい」ということにとらわれずに「自分らしく」生きていくこと、固定化されたジェンダーから解放されること...このことは、マイナーな人たちを尊重していくという社会の風潮をつくっていくということと、大きく関連してくるものと思っています。私は、私なりに、自分の授業のなかで、そんなことをとりあげていこうと思っています。
学校の先生という職業も含めて、社会のいろいろな場で、性を変えたい・現在の性は息苦しいと思う人が、自分の望む性で、ちゃんと仕事できるようになってほしいなあと願ってやみません。
カミングアウトして、そういう主張をしていくべきだとも思うのですが、なかなかそこまでの条件にないこともまた事実なのです。